コーポレート・ガバナンス

加護野忠男

コーポレート・ガバナンス。日本語では企業統治あるいは会社統治と訳される。伝統的には企業コントロール(支配あるいは統制)と呼ばれてきたが、最近はコントロールに代わってガバナンスという言葉が使われることが多くなっている。コントロールという言葉の響きが良くないからだろう。

企業統治の基本的な任務は、企業がよりよく経営されるための条件と慣行をつくることである。この問題を考えるための視点は、何を「よりよく」の基準にするかによって、いくつかに分けられる。この視点を体系的に整理すると次のようになる。

  1. 協働者視点(企業手段説)
    一元主義 株主一元主義、労働一元主義
    多元主義 労資協働主義、多元主義
  2. 企業それ自体の視点(企業制度説)

まず、協働者の視点と企業それ自体の視点の二つに大きく分けることができる。

協働者の視点

第一の協働者の視点では、協働者の利益を護ることができるかどうかが判断の基準となる。この中にも多様な視点がある。協働者のうちのいずれかの利益のみを重視する一元主義と、多様な協働者の利益を考えようとする多元主義とに分けられる。一元主義でもっともオーソドックスなのは、株主一元主義である。現在の日本の会社法は、この視点で組み立てられている。経済学者や法学者は、株主一元主義の視点から企業統治を議論することが多い。もう一つの一元主義は、従業員の視点から企業統治を考えようとする視点である。従業員一元主義である。農業などの協同組合は、株式会社ではないが、従業員一元主義に近い。

一元主義に対して、多様な協働者の利益のバランスをかんがえようとするのは、多元主義である。多元主義の視点を現実の制度づくりに採用しているのは、ドイツである。その具体的制度は、共同決定法である。取締役会の上位にある監査役会に資本の代表と労働の代表を対等に参加させようとした制度である。日本では、法律(会社法)は株主一元主義でつくられているが、その運用は、従業員、地域社会、取引先など多様な協働者の利益を考慮するという多元主義をもとに企業統治がおこなわれてきた。この多元主義は、結果として、次に述べる企業それ自体の視点と類似したものとなっている。

企業それ自体の視点

第二の視点は、企業それ自体の視点である。多様な協働者との関係をいかにマネジし、企業の存続と発展を図るかという視点である。経営者の視点といえるかもしれない。経営学では、この視点から企業統治の問題が議論されることが多かった。1960年代半ばまで、アメリカでも日本でもこの視点が強かったが、アメリカでは、1970年代の後半以降、株主一元主義に基づく議論が増えている。よく企業統治の出発点となる問題として「会社はだれのものか」という問いがあげられるが、上で挙げた視点によって、その解答は異なる。株主一元主義の視点では、会社は株主のものと考えられるが、従業員一元主義では会社は従業員のものと考えられる。多元主義の下では、会社は、労資協働のものあるいは皆のものと考えられる。企業それ自体の視点では、会社はだれのものでもないと考えられる。

協働の二つの側面とガバナンスの中心問題

企業は様々な関係者の協働の場である。この協働には二つの側面がある。一つは、協働を通じて社会的な価値を創造するという価値生産の側面。もう一つはこのようにして生み出された価値を協働のパートナーに分配するという側面である。上で述べた第一の視点、協働者の視点では、価値の分配が中心的な問題となる。これにたいして、企業それ自体の視点では、価値の生産の側面がより重視される。しかし、価値の生産と分配は深く結び付いており、不可分だと考えたほうがよい。具体的にどのような問題に焦点が絞られるかは、基本的な視点によって異なる。株主一元主義の視点からのガバナンスの問題は、経営者を株主の利益に合うように行動させることであり、その手段として経営者の行動の監視と任免、経営者に対するインセンティブの支払い、情報の開示の範囲と頻度、外部からの監査の方式、内部監査の方式などが問題となる。多元主義の視点からのガバナンスの問題は、協働者の間の利害対立の解消、調停が大きな問題となる。企業それ自体の視点からのガバナンスの問題は、経営者の育成・選抜の方法の設計、さまざまな協働者との交換のバランスの維持、経営者に対する報奨の制度の設計、適切な内部統制の方法の選択などである。

Copyright © 2009, 加護野忠男

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