企業間信用(trade credit)

内田浩史

「100年に一度」と言われる不況が影を落とす昨今、得意先(販売先)が倒産あるいは経営不振に陥り、代金の回収不能や遅延に悩んだ企業経営者や財務担当者も少なくないかもしれない。常に現金でしか販売しない、買い手がよっぽどの一見(いちげん)さんで信用がない、といった特殊な場合を除いて、企業間の取引、たとえば原材料や半製品の売買、においては商品やサービスの納入時に支払いが行われることは稀であり、しばらく経ってから後日支払いを行う、といういわゆる「掛け取引」がほとんどである。

こうした掛け取引を経済学・経営学的に見てみると、支払いを後日に行うということは、商品・サービスの納入から支払いまでの間に商品の代金分の資金を買い手が借りている(売り手が貸している)ことを意味する。つまり、掛け取引は企業間の資金貸借に他ならない。この意味で掛け取引は「企業間信用(trade credit)」と呼ばれ、ファイナンスの分野の重要な分析対象となっている。

販売企業からすると、販売先から期待していた支払いを受けられなければ自らの資金繰りが悪化し、経営に深刻な影響が出る。このため、企業間信用の与信(売掛金・受取手形)に関するリスク管理(信用管理)は重要である。世界的な金融・経済危機を受けて、2008年度末における日本の企業間信用残高は、統計が利用可能な1979年以降最大の減少幅(対前年度比)を記録している(日本銀行資金循環統計:日本経済新聞2009年6月18日付朝刊参照)。この背景には、企業間の取引自体が収縮しているだけでなく、信用供与を減らそうという与信企業側の動機も反映されていると思われる。

しかし、考えてみると掛け取引というのは不思議な慣行である。販売先の倒産や経営不振を心配するくらいなら、なぜすべての代金を納入時点での現金払いで受け取らないのだろうか。もちろん「すべて即払いなど非現実的だ」、「すぐに支払えないから販売先は支払いを遅らせるのだ」、などと思われる方もおられるだろう。しかし、よく考えてみると、そもそも資金の貸借については金融機関、中でも銀行という専門業者が存在する。たとえ資金がない販売先であっても、銀行から借りた資金で支払うことは可能ではないだろうか。そのような選択を要求せず自ら信用リスクを引き受ける売り手が多いのは、販売先の力が強いから、販売先の銀行借入能力に差があるから、といったさまざまな要因が背景にあるからであろう。

企業間信用についてもう一つ不思議なのが、金利である。中小企業に対するアンケート調査(経済産業研究所金融・産業ネットワーク研究会(2009)参照)によると、企業間信用は貸借であるにも関わらず、金利が意識されることが少ない。つまり、早期に支払ってもサイト(手形の振出から支払までの期間)が違っても、支払額は変わらない場合がほとんどである。銀行からの借入には厳密な金利計算が行われているのに、同じ貸借である企業間信用にはなぜ金利が意識されないのだろうか。筆者達が行ったインタビューによると、過去には金利計算を重視することもあったようである。すると、金利が意識されない背景には、金利計算の手間や管理などのコストが大きいことに加えて、メリットの小ささ、つまり得られるはずの金利自体が低金利環境のために小さい、という状況も背景にあると考えられる。

このように、企業間信用が用いられる背景には、販売先・仕入先間の力関係、それぞれの信用力や銀行借入の容易さ、経営・金融環境や業種ごとの慣行など、さまざまな要因が複雑に絡み合っていることが分かる。こうした中で決まった企業間信用の取引条件は、固定的で変化することが少ないといわれる。しかし、一度変化すれば企業の資金繰り、ひいては企業経営を大きく左右する可能性がある。昨今の経済情勢で資金繰りに困る企業を助けるための政策を考える上では、企業間信用にもっと関心が集まってもよいのかもしれない。

なお、包括的なデータが存在しないことから、企業間信用の実態については実務の方々の断片的な情報から推測するほかなかったのがこれまでの実情である(詳しい解説書としては島田1998を参照)。こうした現状を改善するため、筆者も参加した経済産業研究所のアンケート調査では、包括的な質問項目によって企業間信用の実態を明らかにしている(経済産業研究所金融・産業ネットワーク研究会(2009)参照)。同調査では昨今の金融・経済危機の企業への影響、各企業の対策についても興味深い調査結果が得られている。興味をお持ちの方は是非一読されたい。今後こうしたデータを用いた詳細な分析も行われる予定である。

参考文献
  • 経済産業研究所金融・産業ネットワーク研究会「金融危機下における中小企業金融の現状『企業・金融機関との取引実態調査(2008年2月実施)』、『金融危機下における企業・金融機関との取引実態調査(2009年2月実施)』の結果概要」(独)経済産業研究所(RIETI)ポリシーディスカッションペーパー、2009.(近日中にRIETIホームページからダウンロード可能)
  • 島田 勝弘『売掛金管理の手引』(日経文庫) 1998.

Copyright © 2009, 内田浩史

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