厳格監査

髙田知実

幸か不幸か、会計監査に対する世間の注目は過去数年で急速に高まっている。「監査法人」というタイトルでテレビドラマが放映されたことがその証拠であろう。それでは、なぜこのように会計監査に対して世間の注目が集まる理由を、「幸か不幸か」と表現しなければならないのか。それは、残念なことであるが、監査の目的(監査基準に定められた監査の目的については文末を参照)が適切に達成されていないために、会計監査への注目が高まっていると感じられるからである。テレビドラマの内容も、決して全ての監査が本来の目的を達成するために行われていることを示すものではなかった。以下では、ここ数年、会計監査がどのように注目され、そして監査を取り巻く環境がどのように変わってきたかを説明し、最後にその環境がもたらした功罪を述べる。

そもそも、監査に対する注目が高まったきっかけは、アメリカのエンロンや日本のカネボウといった、大規模な粉飾決算に対する監査人の関わり方が問題視されたからである。日本では、これらの大事件が起こる前、1997年に生じた山一証券の経営破綻において、すでに当該企業に対する会計監査が問題視されていた。しかし、今ほど顕著に批判されることはなく、ましてや大手監査法人が解散に至ることはなかった。訴訟大国と呼ばれるアメリカでは、かなり以前から監査人に対する訴訟が散見され、学術研究の対象としても長く議論されてきた。その反面、一般的に、日本は訴訟が起こりにくい国として捉えられている。訴訟を起こしても判決までに時間がかかったり、訴訟の手続きが煩雑であったりするからであろう。しかし、そのような傾向も近年は変わりつつある。先に述べた山一証券の事例でも、当該企業の管財人が担当会計士の中央監査法人(後に中央青山監査法人となり、現在は解散)を提訴している。また、記憶に残るより最近の事例としては、ライブドアの粉飾に関して、個人株主が損害賠償を求めて取締役や担当会計士の港陽監査法人(現在は解散)を提訴した。このような背景のもと、最近では、日本の監査人も訴訟リスクを明確に意識し始めているのである。

監査人が訴訟の対象となるのは、担当クライアントの粉飾を見逃す、あるいはそれに加担するというケースが多い。また、粉飾に手を染めるような企業は、財務状態が悪化している状態にある場合が多いといわれている。したがって、監査人が訴訟リスクを意識するほど、彼らは少しでも粉飾の可能性が低いような企業、つまり健全企業をクライアントとして選ぶようになるであろう。いつの頃からか、「厳格監査」や「監査難民」という言葉が世間で使われるようになってきた。これらの言葉は近年の監査の傾向を捉えており、現代社会における監査の位置づけをうまく捉えている。訴訟リスクに怯える監査人が「厳格監査」を実施し、そのような「厳格監査」に耐えられない、あるいは「厳格監査」の基準に満たないようなクライアントが「監査難民」になるのである。

自分に課せられた職務を適切に全うせず、怠惰のために粉飾を見抜けないのであれば、その監査人は当然罰せられるべきである。しかし、監査人にも投じることができる仕事量には限界があり、企業のあらゆる資料に目を通すことは不可能である。企業による粉飾の摘発に際して監査人に極端なリスク負担を強いると、健全な企業の監査しか行わないような監査人が増加するかもしれない。また、将来起こりうる訴訟に備えて、監査人は自分たちが行った監査の適切性を証明するために、必要以上の証拠資料を常に用意するようになるかもしれない。果たして、このような意味での「厳格監査」が財務諸表利用者にとって有益なのであろうか。

罰せられるべき人が罰せられず何のリスクもないのであれば、職務上の規律が失われるため、そのような環境で望ましい監査が行われるはずはない。しかし、あまりに高いリスクを負わせれば、監査人は証拠集めやクライアントの極端な選別を行うようになってしまう。これらいずれの場合でも、会計監査は財務諸表利用者にとって有用なものでなくなり、監査の社会的な意義が薄れてしまうことになる。ここでは、訴訟リスクを中心に検討したが、監査人が粉飾を摘発できなければ、訴訟は起こされなくとも、業務停止命令が下されることもある。また、監査の失敗を理由に、数多くの上場企業の監査を担当していた大手監査法人が解散に至ったのも事実である。訴訟と同様、こういった事例が増加すれば、監査人の監査行為に関わるリスクは増大するであろう。

以上のように、監査の厳格化には光と影が存在する。われわれは、その光の部分にばかり目を奪われるのではなく、影の部分も認識しなければならない。「厳格監査」は功罪相半ばするものといえるであろう。

監査の目的(監査基準):経営者の作成した財務諸表が、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して、企業の財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況をすべての重要な点において適正に表示しているかどうかについて、監査人が自ら入手した監査証拠に基づいて判断した結果を意見として表明すること。

Copyright © 2008, 髙田知実

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