特別扱い(I-deals)

服部泰宏

元アメリカ経営学会会長のデニス・ルソー教授(カーネギーメロン大学)が、2005年にI-dealsというコンセプトを提唱し、経営学界隈で話題になった。これは、(1)「特別扱い」を意味するidiosyncratic dealと、(2)「理想的」を意味するidealを合わせた造語である。

少しわかりにくいので、架空の例を使って説明してみたいと思う。いまある企業が、極めて高い成果が期待できるデザイナーA氏を雇用したいのだが、A氏は、オフィスではなく自宅で仕事をすること、さらには仕事をする時間を自分自身で決定することを要求しており、実際にそうした環境下でしか高い成果をあげられない、とする。他のデザイナーにはオフィスへの定時出勤を求めており、このデザイナーの要求を受け入れることはすなわち、「特別扱い」をすることになる。採用担当であるあなたは、この問題をどう解決するだろうか?

通常であれば、個人を特別扱いすることと、それによってそのデザイナーから高い成果を引き出すことの間のジレンマに悩まされることになるわけだが、もしここで、「このデザイナーの特別扱いを許すことで高い成果を得ることが誰にとってもメリットが大きい」と他のメンバーが考えれば(あるいは、そのように説得することができれば)、状況は少し変わってくるかもしれない。この時、特別な働き方(idiosyncratic deal)を許されたデザイナーと、それを許容することで利益を得る会社と、その利益の恩恵にあずかる他のメンバーの3者にとって理想的な(ideal)、絶妙なバランスが実現している。

このように特定の個人を特別扱いすることが、本人はもちろん、利害関係を持つ他の者にとっても理想的であるという状況こそが、ルソー教授のいうI-dealsである。第三者の心情を無視した単なる「えこひいき」とは全く違い、周到な交渉と説得によって実現するものである。

給与、仕事、ポジションといった有限のリソースを複数の社員に対して分配することが、企業の人事管理の1つの重要なタスクであるが、その際にこれまでのマネジメントは、大きく分けて2つの考え方に基づいてきた。1つ目は、企業内の全ての従業員に対して一律に与えるというやり方である。例えば日本の大企業では、給与、休暇、教育機会やその他種々のベネフィットなどが、業績や年齢・勤続年数に応じて若干の傾斜配分をすることはあっても、基本的にはすべての社員に一律に行き渡るように提供されてきたように思う。このやり方には、従業員間の格差を最小化し、全体としての一体感が強くなるというメリットがある。2つ目は、仕事や職業、公式の役割によって、リソースの配分を受けることができる社員とできない社員とを明確に区別するやり方だ。例えば、管理職研修のような選抜型の訓練機会や、専門職にのみ給付される特別の手当などがこれにあたる。前者においてはリソースが全社員に一律に配分されることになり、2つ目においては特定のポジションにいる者のみがそれを得るという違いはあるわけだが、どちらも「組織内で同じポジションにあるメンバーに対して、同一のリソースを配分する」という点では共通している。

これに対してI-dealsは、同じ組織の同じポジションにいる者同士の間であっても、配分されるリソースに格差が生じることを許容する、第3のやり方といえるだろう。

「確かにそういうことはあるかもしれないが、一部の業界の、一部の社員だけに適用される、極めて特殊な状況でのみ起こるに過ぎないのではないか」と感じる方もおられるだろう。しかし、I-dealsの問題は、日本企業にとって決して他人事ではない。

先の例にあるデザイナー、あるいはエンジニアやプログラマーなどの世界では、すでにI-dealsの問題が起き始めており、海外で人材の採用を行う企業もこの問題に直面している。さらに言えば、私たちの調査によれば、個人間の分配上の公平性を重んじる日本企業においても、優秀な求職者に対する特別扱いがかなり以前から行われてきた。

分配上の公平性を重視する日本企業では、周囲から反発を懸念して、特定の求職者や求職者グループを表立って「特別扱い」するのを避ける傾向がある。そこで行われるのが、外部からは顕在化しない形で、特定の大学卒業予定者にのみ採用説明会を実施するといった、「秘密裏の特別扱い」である。日本の採用においてこうした意味での特別扱いに一定の合理性があることは否めないが、この種の特別扱いは、それが露見した時のレピュテーション・リスクが極めて大きい。

これに対し、米企業や一部の日本企業では、特別扱いすること自体をオープンにし、必要ならばその理由を説明するという、いわば「公明正大な特別扱い」が行われている。これが(そのような扱いを受けない)周囲の他者から受け入れられるためには、以下のようないくつかの条件が必要になることが先行研究により確認されている。

特別扱いが受容される条件

  1. 特別扱いを受ける人と友人であること
  2. 観察する人が、向組織的な志向を持っていること
  3. 特別扱いの提供者である上司と観察者との関係が良好であること
  4. 条件さえ満たせば、その特別扱いが観察者自身にも提供されうること

「公明正大な特別扱い」が成立するための条件は、他にもあるに違いない。例えば筆者が調査したある日本企業では、当人が高い成果が要求されていることを周囲のメンバーが理解している時、スター級の人材に対する破格の待遇(つまり特別扱い)が一種の「リスク・プレミアム」として理解され、受容されていた。周囲の反発を最小化しつつ、優秀な人材をいかに特別に扱い、惹きつけるか。国際的な人材獲得競争に期していくためには、何らかの意味で「特別扱い」の技術を日本企業も身につける必要があるはずだ。

参考文献

  • Hattori, Y., Hoang, M. H., & Bich, H. N. T. (2021). “Investigating the effect of idiosyncratic deals in Asian countries: A cross cultural analysis in Singapore, Thailand and Japan.” International Journal of Cross Cultural Management, 21(2), 373-393.
  • Rousseau, D. M. (2005). I-deals: Idiosyncratic deals employees bargain for themselves. Routledge.

Copyright © 2024, 服部泰宏

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