限界利益
限界利益率がプラスなんだから、もっと売ればいいじゃないか。ある著名な社長が、私の友人に語ったそうである。友人は、この社長の傍らで長らく企画に携わっており、問題事業部門の立てなおしに送り込まれたところであった。状況を把握して報告に出向いたところ、冒頭の発言が飛び出したというわけである。確かに経済学は、企業は限界利益がゼロになるまで生産量を拡大すべしと教えている。ところが現実を振り返ってみると、製造業では限界利益率が20%台から40%台にあるのが普通で、ゼロという数字は私も見たことがない。どこに齟齬が潜むのであろうか。
経済学で限界利益というときは、総利益額を生産量で微分して、当該時点における生産量で評価した値のことを指している。わかりやすく言い換えれば、いまから一単位余分に生産したら、いくら利益が増えるかを問うわけである。これなら、限界利益がプラスに留まる限り、生産量を増やせと指示するのは理に適う。ところが、企業の計数管理に登場する限界利益は、これとはまったく別の概念である。売上高から変動費を引いた値を限界利益と呼んでおり、いまから一単位余分に生産量を増やすことを考えるのではなく、これまで期間内に積み上げてきた減価償却前付加価値の総額を数えるに等しい。これがゼロになるようでは、固定費分が持ち出しになってしまうため、企業活動を続けていく意味がない。
問題は、この先である。経済学上の限界利益と、計数管理上の限界利益の間に乖離があることは仕方ないとして、実際の生産量で経済学上の限界利益はプラスになっているのであろうか、それともマイナスになっているのであろうか。プラスであれば、経済学の視点から見て、企業は過少生産に留まっていることになる。マインスであれば、同じく、企業は過剰生産に陥っていることになる。どちらが該当するかによって、企業のとるべきアクションは180度変わるため、慎重に考えるべきポイントである。
経済学上の限界利益を測定する方法が確立されていないため、実証研究で答えを出すのは難しい。また、答えはケースバイケースになることも明らかである。それを承知のうえで敢えて踏み込んでみると、次のような事実に思い当たる。
計数管理には、稼働益という概念が登場する。通常は予算で想定した生産量で減価償却の率を算定し、それに実際の生産量を掛け合わせることで、期中の利益を計算する。ところが、生産量が予算の想定値を上回ると、超過稼働した分、期末に減価償却の率を下げる調整が入る。この率の変分に、生産量を掛け合わせたのが、稼働益にほかならない。これは、利益責任を負う事業経営責任者にとっては天の恵みのようなもので、意図的に稼働益を稼ぎに行って、それで帳尻を合わせようとする事業部長を、私は何人も見たことがある。この過剰生産バイアスは、たちが悪い。生産量の増分を売り捌くには、往々にして価格を下げる必要がある。ただし、値下げが過去の生産分にさかのぼって適用されない限り、限界利益率は微減するかもしれないが、ほとんど変わることはない。限界利益も増えこそすれ、減ることはありえない。それゆえに、企業は過剰生産に走りやすい。
他方、この稼働益稼ぎの行動を経済学の視点から整理しなおしてみると、たいへんなことになっていることがわかる。生産量の増分を売り捌くとき、値下げが過去にさかのぼって適用されることはないとしても、一度下げた値が元に戻るとは考えにくい。だとすれば、値下げは未来に繰り越して適用されることになる。すなわち、生産量の増分を売り捌くための値下げは、将来の売上高を瞬時にして蒸発させてしまうのである。これは、とてつもないロスになる恐れがある。さらに生産量の増分が特別モデルにでもなっていれば、金型を起こすことになる。場合によっては、生産現場で金型以外の投資が必要になるかもしれない。経済学的に見た限界利益には、思いのほか、こうしたマイナス要因が出てくるものなのである。
こうして一考してみると、冒頭で言及した社長の発言は、180度の方向違いである可能性が高い。少なくとも具体的な状況下では、多分おかしいと私は睨んでいる。しかし、もう一歩踏み込んで考えてみると、これはいわゆる愛のムチかもしれない。そんな疑問も抱かずに、企画の仕事をするな。本当のところ、どうなんだ。自分の頭で考えてみなければ駄目じゃないか。そういう叱咤激励の意が込められているのではなかろうか。
Copyright © 2009, 三品和広