コミュニティバス
正司健一
先日、新聞各紙に、赤字が続く大阪市営バスの経営改善策を検討している外部委員会「市営バスのあり方に関する検討会」から出された中間提言に関する記事が掲載された。日本経済新聞(2008年12月13日)は、「赤バス廃止を含め対策を」とのヘッドラインのもと、「コミュニティーバス『赤バス』の廃止を含め、抜本的に見直すことを盛り込んだ中間提言をまとめた」と報じた。(注 赤バス:大阪市交通局の小型ノンステップバスによるコミュニティバス)
「コミュニティバス」(日本経済新聞はコミュニティーバスと表記しているが、以下では一般的な表記法に従うことにする)。これを言葉どおりに解釈してしまうと、赤バス以外の大阪市バスはコミュニティのために走っているバスではないというのかと突っ込みたくなる。本来、市バスに限らず、普通乗合バスはいずれもその沿線地域(コミュニティ)のために存在しているはずであり、特定のサービス形態だけが「コミュニティバス」と称されるのは不思議である。しかし、近年わが国では、地域交通政策の検討の際に、この「コミュニティバス」への言及が行われることが少なくない。それでは、これはどのようなバスだというのだろうか。
コミュニティバスは、法的に定義された特定のサービス形態ではない。行政がいうところの「コミュニティバス」とは、地方自治体が主体となって、地域の交通空白地域・不便地域の解消等、地域住民の利便向上のために一定地域内を運行するバスであって、車両仕様、運賃、ダイヤ、バス停の位置等を工夫したもの、と表現できるだろう。実際、これまでのバス(及び鉄道)路線がなかったいわゆる交通空白地域に、既存のものとは違った小型のバスを用いて運行開始しているケースがそのほとんどで、バス停の間隔は通常の半分近くのきめ細かさで、運賃もワンコイン(100円)と手軽な価格に設定されていることが多い。このようにみてくると、網の目のようにバス路線をはりめぐらせている大阪市交通局とはいえ、コミュニティバスの形式用件を満たすのは赤バスということになる。原則論として、わが国の公共交通は料金収入でその費用を賄う採算主義に基づいてそのサービス網が設定されている。そのため赤字であることは問題視されるし、需要量が十分に見込めない路線はそもそも存在しないか、あってもサービス水準が非常に低い。結果、都市といえども交通空白地域が存在したり、バスは走っているものの、ちょっとそこまでといったきめの細かさを持ち合わせていないことがありえる。そして、コミュニティバスの名のもとに、採算性の確保が困難である路線を、地域住民のために必要であるからとして運行開始を検討するということは、採算性よりも当該バス路線が地域にもたらす便益の度合いを重視するかという議論をはじめることになる。
いうまでもなく、採算性と公共性は公共交通について考える際の、二つの、時として対立することもある重要な基準であり、わが国では、どちらかといえば採算性に軸足をおいてその供給体制が維持されてきた。しかし、行政がコミュニティバス導入の検討を行っているということは、公共交通サービスには、不採算となることが想定されても、地域にもたらすだろう純便益に鑑みて供給する価値がある場合があることを認めたことを意味している。それは、採算性と公共性の新たなバランスのあり方の検討を開始したことに等しい。これを、小型バスの新規路線だけに限定して検討を行うのでは、都市公共交通政策を考える上で明らかに合理的な検討とはいえない。その見直しの検討は赤バスだけにとどまるべきではなく、一方で赤字路線をすべて廃止すれば問題が解決するというものでもない。許された財源を活用しながら、いかにして市民が求める公共交通サービス網を構築し、そのなかで大阪市交通局のバス事業がどの部分を担う意味があるかを検討する問題である。
なお、赤バスは、大阪市交通局が「コミュニティ系バスサービス」と分類しているサービスの一部分で、赤バスだけがコミュニティのためのバスとなっているわけではない。もっとも、だからといって、赤バス路線開設にあたって当該バス利用の必要性に関して適切な判断を下したものといえるのか、運行コスト削減の努力はどうなっているのか、コミュニティ系サービスの中で赤バスという新ジャンルを設定する、その位置付けは利用視点からしてクリアなものか、コミュニティ系バスサービスというグルーピングは他のバスサービスの路線およびそのサービス水準と整合的なものなのか、別途検討を要する疑問は数多い。そもそも大阪市交通局が利用者ニーズに真摯に取り組んできたのかについても。
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