オペレーショナルリスク

甲斐良隆

BIS(国際決済銀行)の自己資本比率規制の改定が近づいている。1988年の制度発足以来、経済、金融情勢の変化に合わせ、幾度となく改定が行われてきたが、今回の目玉はオペレーショナルリスクが初めて取り込まれたことである。自己資本比率の算出式を簡単に表わせば、

ということであり、リスクの増加に見合う分だけ自己資本を上積みする必要がある。信用リスクや市場リスクは銀行の本源的なリスクであるという意識が強いこともあり、既に精度の良い計量化の手法が開発されているが、オペレーショナルリスクについては手探りの状態である。

オペレーショナルリスクとは、日常のオペレーションにおけるミスや事故によって引き起こされる損失可能性のことである。具体的には、事務ミス、システム障害、不正、災害等が上げられる。また、市場リスク、信用リスク以外の全て、という意味でOther Riskとも呼ばれる。

当然、銀行内では従来よりオペレーションに伴う損失の重大性を認知し、撲滅しようとする様々な改善活動が進められてきた。しかしながら、「損失額や事故件数が確率的に生起する」という発想は全くといっていいほどなかった。そもそも、ミスや事故はあってはいけないもので、優秀で訓練された従業員が誠心誠意取り組む仕事では「ミス0」が当たり前であり、起こった事故は例外的なものとするのが銀行の風土である。

今次の規制は、その「日本の銀行がこれまで誇りとしてきた崇高な」風土を180度転換させることになる。「オペレーション上の事故はある一定の確率分布のもとで起こるものであるから、その分布を特定して信頼度99%における最大損失を計りなさい」というのが規制の骨子である。つまり、事故は極端に怠慢な人間がいたり、不具合なシステムの存在によって引き起こされると考えるのでなく、本来、台風の到来やサイコロの目のような確率現象であると捉える、いわば、「オペレーションのある所、必ず事故、ミスは存在する」という性悪説の立場をとっている。

以下は、オペレーショナルリスクが近年の銀行経営にとって重要になってきた背景をまとめたものである。

(1) 企業の活動が国際化、IT化することにより、従来とは全く異質のオペレーションが誕生してきた。また、ひとたびリスクが顕在化すると、その影響が即時、連鎖反応的に拡大する傾向にある。

(2) 一般に、損失額が巨大であり、ベアリング証券や大和銀行、住友商事の巨額損失事件等で見られるように、一人の不法行為が経営の致命傷になりかねない。

(3) 「手数料ビジネスの拡大」によって、収益構造、とりわけROEを改善しようとする金融機関の動きが顕著である。すなわち、金利の変動や長短金利差(市場リスク)や融資(信用リスク)への過度な依存からの脱却を図っている分、オペレーションの効率性が競争力として重みを増している。

では、実際にどのようにリスクの計量化を進めるのであろうか。可能な限り数量化することも大切だが、実務上の見地から、客観的(検証の可能性、再現性)であることや管理者が使える(改善の手段の存在)ことも重要な要素である。そのためには、過去の事故データを件数や損失金額で分別し確率分布(一般に、金利や株価と異なり、正規分布ではなく裾の長い分布となる。発生頻度としてポアソン分布、損失額としてはワイブル分布、ガンマ分布、一般パレート分布等がしばしば用いられる)を推定することのほか、事故発生過程のモデル化も必要である。

具体的には、「新製品や新業務は初期トラブルを経て、安定期に入り、やがて老朽化の道をたどり事故の多発を招く」という事実は、時間経過が事故発生確率に影響する例である。また、従業員の経験年数や給与水準、業務の曜日や季節等も少なからず発生確率と関連するであろう。このように様々な角度から因果関係を把握することにより、計量手法の頑強さを高めプロセス改善のヒントを得やすくなる。

BISの改定を間近に控えて、日本では大手銀行が一斉に取組みを開始している。欧米各国はさらに先行していて汎用モデルのパッケージが流通しているほどである。技術研究は損保(災害保険等)や日銀で盛んである。

一見目新しそうなオペレーショナルリスクであるが、少し見方を変えれば、なにやら「QC活動」に似ている。事故やミスを科学的に分析することによって工程の生産性、信頼性を向上させてきたのは他ならぬわが国の製造業である。このお家芸をもってして日本の品質、及び品質管理を世界に冠たるものにし、今日のわが国経済反映を築いた。

反面、生産性や効率性の面で金融業、ソフト産業が欧米諸国に遅れているといわれる。その大きな要因は品質管理のノウハウが醸成されていないことだ。「1件たりともミスを起こすな」は精神訓話としてよいが、マネジメントとしてはこれだけでは不十分である。事故の事後処理として、担当者の配置換え、システム投資の強化は確かに行われてきたが、統計的な分析によって発生メカニズムにメスを入れるといったトータルなアプローチはきわめて少なかったように思われる。

改善は実態を正しく掴む、つまり、モノサシを作ることから始まる。オペレーショナルリスクの計量化(運動)によって日本の金融業もようやくこのスタートラインに立ったといえるのではないか。自己資本比率規制の強化という黒船襲来をきっかけに、製造業の知恵を借用し名実ともに世界の金融機関に飛躍するチャンスである。

Copyright © 2004, 甲斐良隆

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