日本の新たな成長産業、観光といかに向き合うか

栗木 契

オリンピック、さらには万国博覧会を控え、日本の観光は、特定の産業を超えて広く社会の関心を集めるようになっている。そのなかにあって、新たな好著が出版された。『観光亡国論』(アレックス・カー・清野由美著、中公新書クラレ、2019年3月)である。

観光立国を否定する書かと思いつつ手に取ったが、そうではない。著者たちは、現在の日本における観光産業の重要性を見すえながら、観光立国に向けた健全な発展の道筋を模索する。顕在化しつつあるインバウンド観光の負の側面に警鐘を鳴らし、発想の転換が必要となっていることを説く、建設的な提言の書となっている。

日本経済を支える産業は、時代と共にシフトしてきた。近年は日本の製造業の力は低下傾向にある。一方で観光が新たな成長産業として台頭してきている。訪日観光客数は2010年代に急増し、2018年には3000万人を超えた。10年前の4倍という大きな伸びである。訪日外国人による旅行消費額は4兆円を超え、これを輸出に相当すると見なすと、日本の観光産業は自動車産業に次ぐ、電子部品などと並ぶ水準の外貨の稼ぎ手となっている。

観光は、20年ほど前の日本においては、古い産業と見られていた。しかし時代は移り、観光は新たな成長産業となっている。これは特殊な出来事ではなく、先進各国と共通する。

サービス経済への産業転換が進む欧米先進国は、わが国の一歩先を行く。現時点の日本におけるインバウンド観光がGDPに占める割合は、フランスなどと比較するとその3分の1程度にとどまるわけで、欧米先進国一般に比べると実はまだ低い水準にある。ポジティブにとらえれば、この遅れは日本の観光産業には、さらなる伸び代が残されているということである。そして観光の活性化は、多くの関連産業への波及効果を生む。宿泊施設などへの不動産投資が進み、活況に沸く日本の地域は少なくない。また観光の活性化は、交通インフラなどの整備への後押しともなっている。

加えて観光産業は、人手不足を受けたAIやロボティクスの導入が見込まれ、関連産業の技術革新をうながしている。そして観光産業は、食品をはじめとする各種の生活関連産業に対しても、日本をショーケースとしたグローバルな新規顧客開拓の機会を提供する。

注目を集める日本の観光産業。しかし一方で、その発展とともに負の側面も目につくようになってきている。押し寄せる人波で風情の失われてしまった名所など、情緒的な問題だけはでない。交通、ゴミ、治安といった地域のインフラも打撃を受けている。そこに地価や家賃の上昇が加わることで、住民の追い出しにつながっていくことが危惧される。やがてこれは地域に労働者不足などの問題を引き起こし、負のブーメランとして観光産業にもはね返っていく。机上論ではない。すでにバルセロナやサンフランシスコなど、世界の各地で起きている現実である。

アレックス・カー氏は日本の文化を愛する東洋文化研究者であり、京都の町家の一棟貸しなど、観光事業にも長らくかかわってきた。ジャーナリストの清野由美氏との共同作業である本書を通じて、日本の観光においては、量を呼び込む発想を脱し、質を高めることで付加価値を向上させることが必要だと説く。

そこにあっては、対立する問題をいかに両立させていくかが課題となる。観光客の交通アクセスに目を配りつつ、一方でのんびりとしたそぞろ歩きの楽しみも見落とさない。観光公害を防ぐにはマナーの啓発が必要だが、看板公害とならない仕掛けに知恵を絞る必要がある。防災などの公共事業においても、景観への配慮が欠かせない。伝統文化の伝承は大切だが、凍結保存した死せる文化の継承となってはならない。一方で映画セットのようなテーマパーク化は文化のフランケンシュタイン化を引き起こす。場合によっては不便さや難解さを価値に転じる柔軟な思考が、ツアー設計にも都市計画にも必要となる。

両氏が説くように、観光客の殺到は地方活性化の万能の妙薬ではないことを踏まえて、ていねいな思考と取り組みを重ねることが、今日本には必要となっている。観光で日本を豊かにするには、従来のマス・マーケティングとは異なる発想が求められる。その手がかりを広く、深く、具体的に得ることができる好著である。

 

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