成果主義賃金の意義と課題

奥林 康司

管理職年俸制や目標管理などの見られる成果主義賃金が1990年代に普及し、今日ではその再検討の時期にかかっている。そこで、成果主義賃金は何を目指して導入され、その歴史的意義はどこにあったのか、今後何を改善すべきなのかなどを考えてみたい。

日経連は昭和44年に能力主義管理に関する報告書を発表し、年功主義賃金からの脱皮を宣言した。そこでは「年功」に代え「職能」(職務遂行能力)を賃金支払いの基準としたのである。しかし、職務遂行能力は年齢や勤続年数とともに上昇すると捉えると、職能給の年功的な運用により、結局は、年功賃金とあまり変わらなくなったのである。

特に平成不況において、高年齢者、高資格者、管理職が従業員構成の中で高い比率を占めるようになると、彼らの人件費が企業に対し大きな負担となってきた。中高年齢者やホワイトカラーのリストラが進められ、「ホワイトカラー受難の時代」などと言われたのはこのような背景を象徴的に表している。

この対策として賃金面で改革を行ったのが管理職年俸制である。これは、管理職、とりわけ上級管理職の報酬を、年齢・勤続年数・家族状況など年功的要素を全て払拭し、年俸一本で決定しようとするものである。東京電力などはその例である。

しかし、問題は評価の対象となる業績をどのように決め、その努力の結果をどのように評価するかである。東京電力の場合、最初、部長クラスに年俸制を導入したが、部長の業績は前年度の業績を基準とし、当年度の業績評価は社長との面接で行っている。一般に業務の目標は上司との面接で、双方の納得の上で設定されることになっている。これがいわゆる、年俸制の前提としての目標管理である。

目標管理の運用プロセスからすれば、企業の年次目標が設定され、それを各部門・各課に具体化し、そこから上司との個人面談において個人の目標が設定される。経営戦略とそこから導きだされた個人目標に、企業の業績への貢献を測定する客観的根拠が見出されている。また、目標設定において、上司と部下が面談をし、それによって部下が納得する点に目標管理の公平性、納得性が担保されていると考える。

目標設定に対する業績の評価も問題になる。個人の業績と言われるものが果たしてどこまで個人の責任と認められるか、議論の分かれるところである。事業部制を取っているところでは、事業部全体の業績が個人にも反映される方式を取っているところが多い。集団の成果を個人にも配分する必要がある。

業績の評価とそれに結びついた報酬の決定において、評価の格差を報酬の格差にどの程度反映させるかが問題となっている。最近の傾向とすれば、もともと年俸制は年俸格差による賃金の刺激効果を求めたものであり、その格差を大きくする傾向にある。例えば、部長クラスにおいて、最高と最低の年収の格差が800万円ほどに決められているところもある。これらの制度に色々と問題があることがその経験から明らかになってきた。

第1に、目標管理において目標を低く設定する傾向があることである。高い評価を得ようとすれば、やさしい目標を設定することが最も個人的には有利な選択である。その対策として、目標の革新度を評価したり、挑戦を評価する項目を入れたりしている。

第2に、年俸が昨年の業績に基づいているとすれば、今年の努力とその報酬に時間的ずれが生じ、インセンティブ効果が薄くなる。そこで、東京電力では、2002年7月より制度を修正し、職能資格給部分は定額とし、一定額の収入を保障すると同時に、業績に応じた変動部分は賞与で、しかもその年度の業績に連動させることにしている。

このように、管理職年俸制や目標管理制度はその経験のつみ重ねの中で改善されながらも、次第に普及すると考えられる。なぜなら、職能給の考え方は、基本的に、職務能力の高い人を、その職務内容に関わらず、長く企業に引き留めるには有効な賃金制度であった。しかし、資金の流動性を高めたり、資本の利用効率を高めることが一層強く要請されると、労働力も流動的な利用や成果に応じた報酬が要請される。成果主義賃金は、職能ではなく、個人が働いた成果によって報酬を支払うという新しい支払い原理を表した言葉である。この言葉と制度が今後更に定着するであろうと予測し、その動向を見守りたい。

Copyright©, 2003 奥林 康司
この「ビジネス・キーワード」は2002年11月配信の「メールジャーナル」に掲載されたものです。

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