日本的経営における個人の自立

桑原 哲也

日本企業の経営制度については、集団主義的な組織原理がいつの時代にも確認されてきたが、時代の変遷とともにそれに対する評価は大きくゆれてきた。1980年代に与えられた高い評価から一転して1990年代前半からは、市場原理からは離れすぎているという観点から批判の対象とされてきた。日本企業の経営システムを理解し、今後の改善はどのような方向に求められるのだろうか。こういった問題意識をもって、日本企業の組織の個性を回顧し、そのうえで、日本的経営の課題を考える一助としたい。

日本の経済近代化は、明治時代の工業化の開始とともに開始された。その過程で、企業活動の規模が拡大し複雑になるとともに、経営当事者には、それを運営するためのどのような組織を作ればよいのかという問題がますます大きい問題となってきた。一人の企業主が把握できないほどの数に労働者が増えるとともに、新たなシステムが必要になったのである。そうした問題に最も初期に直面し、試行錯誤を経つつ、組織を開発したものに紡績企業がある。そうした問題に先駆的に取り組んだ経営者として鐘紡の武藤山治がある。同社は、日清戦争後に破綻企業を合併して、多数の工場をかかえた。それらの工場の間には、同一機械を用い、同一原料を投入しても、アウトプットされる製品の品質に格差があった。その不安定の問題に直面して、その問題の解決に苦慮するなかで、品質は現場の労働者の意欲によって影響されるという事実に注目した。そして、労働者の貢献意欲を引き出すために種種の工夫を重ねた。こうして作られた組織は、温情主義ないし、経営家族主義とよばれるようになった。家長としての経営者が労働者を、家の構成員として位置付け、温情をほどこし、それに応えて労働者は企業目的に忠誠心をもって貢献するという組織である。このような経営家族主義は、すでに第1次世界大戦後の日本においては、大企業から中小企業にいたるあらゆる企業に取り入れられる一般的な組織となっていた。

イエの原理を基礎とする経営家族主義は、第2次世界大戦中に各事業所ごとに作られた産業報国会、敗戦後の労働民主化のもとでの企業別組合の形成を経験して、いわゆる企業一家主義と呼ばれる組織へと再構成されていった。そこには戦前に存在していた職員と工員の身分的な格差は制度の上でなくなった。また、その組織においては、温情主義に見られた主従の上下関係的な組織観は払拭されていた。しかし組織の存続を第一義的な目的とするという点で、イエの観念に基礎をおく集団主義的組織であり、戦前の組織との間に連続性が見られた。いぜんとして企業は、単なる経済的結びつきを超えた組織として考えられた。イエの組織原理に基づくこうした集団主義は、従業員の非常に高い勤労意欲を引き出し、日本企業は国際市場で大きな地位を確立した。

しかし日本がすでに欧米諸国の経済にキャッチアップを実現するとともに、モデルとする対象がなくなりみずからの進路を開拓していかなければならなくなったちょうどその頃、1980年前後から、こうした組織は、日本人の心をかつてのようにつかむような力はなくなってきた。その原因を探ることは、容易なことではないが、主要な原因として考えられるもののひとつは、従来の日本企業の組織においては、従業員に組織目的への従属を要求する一方で、成員の個人の自立を十分に認めなかった点に求められるであろう。

ところで、日本企業の集団主義的組織の根底にあった、イエの組織原理のルーツをたどれば、徳川時代の武家の組織にたどり着く。従来この武家組織は、専制的で、上下身分関係が厳しい組織であると説明されてきた。しかし最近の研究によれば、そこでは、武家の構成員は個々人の自立的な行動を通じて、大名家の存続が図られていたことが明らかにされている。(笠谷和比彦『士の思想』岩波書店、1997年)たとえば、藩(大名家)の存続のためには、浪費や失政を続ける藩主を「押し込め」新藩主を擁立する慣行や、危機に際しては有能な個性豊かな下級武士を、上級の役職に抜擢登用する制度が機能していたことが明らかにされている。

イエの組織原理には、個人の自立を実現しつつ集団の存続を図る性質が見いだされるのである。ここには、現代の日本企業の組織問題の解決の方向が示唆されているように思うのである。

Copyright©, 2003桑原哲也
この「ビジネス・キーワード」は2002年6月配信の「メールジャーナル」に掲載されたものです。

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