知識の共有

久本 久男

1.「知識の共有」

知識の共有(knowledge sharing)、知識経営(knowledge management)などの言葉を、皆さんはどこかの書籍コーナーで見たことがあるでしょう。「知識(知る)とは何か?」という議論は別にして、それらのコーナーで並ぶ書籍は、比較的明確である点と明確でない点を含んでいます。

明確である点は、そのような書籍が議論する「知識の共有」です。たとえば、4人の人が、大きなピラミッドを4方向から観察します。つぎに、その知識を持ち寄り、互いにその形を報告します。すると、ピラミッドの立体像を各自は想像できるでしょう。このプロセスにおいて、「知識を持ち寄り、互いに報告」すれば、各メンバーは自分が見たピラミッドだけではなく、他の3人が見たピラミッドの形状も知ることができます。したがって、全員がピラミッド全体の形状を知ることになります。このように、自分はあることを知らない。しかし、知っていることや経験したことを他人が報告すれば、自分が明確でなかったことを明確にできます。そして、各自の知識は増えるでしょう。この議論の特徴は、各メンバーが知識を持っていて、その知識に関してメンバー全体の共通部分を利用することです。「知識を持ち寄り、互いに報告」という点から、データベース、場(オープンスペースのオフィース、一会場で開かれる支店長会議など)、ヴァーチャルスペースのフォーラムといった議論が登場することになります。

しかし、少し落ち着いて考えてみれば、知識(知る)の対象は、先ほどのピラミッドのような自然物だけではありません。知識の対象が知識である場合もあります。先ほどの例で言えば、4人が見たピラミッドの形状を互いに報告すれば、4人は「それぞれがどのようなことを知っているのか」という知識を得ることになります。すなわち、4人は「それぞれが見たピラミッドの形状を各自が知っている」ことを知ることになります。さらに、4人は「4人が「それぞれが見たピラミッドの形状を各自が知っている」ことを知っている」ことを知っています。この「知っている」という階層はさらに続くことになります。これを知識の階層とよぶことにしましょう。一見すると、何か言葉の遊びをしているように思えます。そして、知識の階層は単なる議論のための議論をするためにつくられたのではないかという疑問をもつ人がいるかもしれません。われわれの日常生活の中にこの階層が陰状的に埋め込まれている例を利用し、単なる議論のための議論でないことをつぎに示しましょう。

2.知識の階層

つぎのような日常生活の1シーンを思い浮かべて下さい。あなたは既婚者であり、会社から帰宅すると「いつものやつ」と奥さんに言います。すると、奥さんは冷蔵庫から冷えたビールをとり、コップとともにあなたの目の前に置くとしましょう。さて、この一連のシーンが何の変更もなくスムーズに進んでいくためには、あなたと奥さんはどのような知識を少なくとも持っている必要があるでしょうか?話を簡単にするために、「いつものやつ」をここではAと書きましょう。すると、最初にあなたがAと言います。このとき、奥さんがA=ビールということを知らなければ、一連のシーンはここでストップします。すなわち、奥さんはAがビールであることを知らないので、冷蔵庫からビールを出すことができません。したがって、奥さんはA=ビールであることを知っている必要があります。

では、これだけでスムーズにことが運ぶでしょうか?もし「奥さんがA=ビールであることを知っている」ことをあなたが知らないならば、どのようになるでしょうか?あなたは「奥さんがA=ビールであることを知っている」ことを知らないのだから、あなたの頭の中には、つぎの2つの可能性があります。

1)「奥さんがA=ビールであることを知っている」かもしれない。

2)「奥さんがA=ビールであることを知らない」かもしれない。

もし、2)の奥さんが知らないのであれば、あなたがAと言ったとしても、冷たいビールはあなたの目の前には出てきません。そして、あなたが「奥さんがA=ビールであることを知っている」ことを知らないのであれば、ビールが出てこない可能性をいつまでも否定できません。したがって、冷たいビールを飲むためには、あなたはAと言うのではなく、「ビール!」と言わざるをえないでしょう。このように、一連のシーンが何の変更もなくスムーズに進んでいくためには、奥さんがA=ビールであることを知っているだけではなく、あなたがそのことを知っている必要があります。

この例は、日常生活における協力作業の個々の行動がスムーズに進むために、どのような知識の階層が陰状的に埋め込まれているかを示しています。このような簡単な例だけではなく、組織に関する調整(coordination)、管理(control)等においても、ある種の知識の階層を必要としています。一度、皆さんが所属する企業やグループの行動がどのような知識の階層を必要とするか考えてみて下さい。

Copyright©, 2003 久本 久男
この「ビジネス・キーワード」は2002年5月配信の「メールジャーナル」に掲載されたものです。

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