電子市場の経済学【前編】
丸山 雅祥
流通業は生産と消費を空間的・時間的に連結するネットワーク・ビジネスであるが、情報通信技術の革新は、「eコマース」(commerce at light speed)の名のもとに、流通システムを大きく変えようとしている。「電子市場」の特徴は、ネットワークにつながってさえいれば、買手がどこのパソコンやモバイル端末からでもアクセスして取引することができ、国内外の店舗までの距離という空間的な制約から解放されていること、また営業時間がないため、いつでも取引でき時間的な制約からも自由であるという点にある。消費者は小売店舗に行かなくても買物ができるし、決済には銀行店舗は不要、企業も店舗不要でビジネスができる。
このため、インターネットが売手と買手の集まる市場として機能するとき、中間業者を経由せず直接、取引することができ、より効率の良い市場が形成されるという議論がある。しかし他方では、新たな情報インフラが伝統的な中間業者の地位を補強するとともに、情報ネットワークが新たなタイプの中間業者の成長を促進するという議論もある。
情報通信分野の技術革新は、メーカーと消費者との直接取引を促し、「中間業者の排除」(中抜きdis-intermediation)により、流通業をして、やがて消え去りゆく存在に導いていくのだろうか、あるいは、ネットワークの重要性に対する社会の認識が高まっていくにつれて、形態こそ変わっていくもののいっそう重要なものとして存立する根拠を与え続けるのだろうか。
その方向を見定めるためには、変化する流通の実態を観察するとともに、流通業が本来どのような機能を持ち、流通システムはどのような原理で編成されているのかを、あらためて検討しておく必要がある。
1 分業と交換のスパイラル
市場経済は高度な分業と交換のネットワークによって成り立っている。分業による専門化は経済活動の効率化をもたらすが、アダム・スミスがいうように「分業の範囲は、市場の広がりの程度によって制約されている」。このため、分業の進展はその補完として取引の円滑化をうながす主体や制度の生成を導く。交換機会の広がりが分業の可能性を拓き、分業の高度化が交換の広範性を導いていく。この「分業と交換のスパイラル」を通して市場経済が発展している。
分業の進展は、生産主体と消費主体との分離を生み出し、生産と消費の地理的な分離、時間的な分離を押し進めていく。そのため生産と消費の連結・調整が必要になってくる。
さらに、W. オルダーソンが指摘するように、各々の生産者は、ごく限られた種類の製品を大量生産するのに対して、消費者はきわめて多様な製品をごく少量ずつしか消費しない。生産と消費の間には本質的な非対称性が存在しており、「品揃えのそご」(discrepancy of assortment)を調整することも必要となるのである。
流通とは生産と消費の連結であり、流通業者の機能を端的にいうならば、購入と再販売を通じて生産者と消費者の手をとりむすび、生産と消費の調整をはかることである。
生産と消費の人的・地理的・時間的な分離は、流通業者の「所有権移転」「輸送・配送」「在庫・保管」によって埋め合わされている。生産と消費の間の品揃えのそごは、商品の「集積」「仕分け」「取り揃え」「配分」の4つの局面からなる流通業者の「品揃え形成」(sorting)によって調整されている。
分業と交換のスパイラルを回し、市場経済を機能させるために、流通業者は実に重要な役割を果たしているといえるのである。
2 マーケット・マイクロストラクチャー
しかし、以上のことがらは、いずれも生産者や消費者が自らの手で行いうることでもある。では、どうして消費者は流通業者を通して商品を購入し、メーカーは流通業者を通して商品を販売しているのだろうか。流通業者の介在する間接流通システムは、社会的に見てどのような有利性を持ち、どのような原理によって、市場が編成されているのであろうか。
伝統的なミクロ経済学では、情報の完全性と取引費用ゼロを仮定した「完全市場」を想定してきた。それは「取引のない市場」のモデルである。「市場のミクロ構造」の解明のためには、取引にともなうコストや取引をめぐる情報の不完全性を考慮し、市場を運営するためのコストに注目する必要がある。
取引に伴い発生する費用(取引費用)のうちで、取引の対象および取引相手をさがし、取引条件を比較・交渉し、取引を完了するまでの一連の過程におけるコミュニケーション・コストを考慮するならば、商品流通の社会的編成にあたって、情報収集・伝達上の効率性という基準が少なからず作用していると考えられる。
情報と取引の観点からみると、流通業者は社会的に有用な機能を担っていることがわかる。そうした機能とは、まず、流通業者による商品の選別・品揃えを通じて、生産者や消費者が潜在的に負担しなければならない情報コストを削減している「需給マッチングのための情報提供機能」である。
さらに、多数の消費者と生産者とが小口で直接取引するのではなく、そのあいだに流通業者が介在する間接流通の形態をとることによって、取引単位の集計化をはかり、取引コストを節約している「ネットワーク機能」である。
また、流通業者が複数製品を品揃えして個々の製品の販売に伴うリスクをプールすることにより、リスクの社会的な削減が導かれるという「危険プーリング機能」であり、それが見込み生産の円滑化をもたらしているという点である。
市場機構に張りめぐらされた分業と交換の網目のなかを、原材料や部品の調達・組立加工・製品の流通という垂直的に関連した補完的な業務が流れ、それは付加価値を生み出す活動の連鎖という観点から「価値連鎖」(value chain)と呼ばれているが、そうした流れは、「企業と企業」(B to B)、「企業と消費者」(B to C)の垂直的な「取引の連鎖」となって、市場の垂直的構造を形成しているのである。
3 流通システムの情報化
流通システムの情報化は、いまに始まるものではない。これをB to B の取引の部分から見ていこう。情報化を推進する大きなきっかけとなったのは「POSシステム」の出現と普及である。1977年の導入に始まり、1982年にセブン・イレブンが全店導入を図った頃から急速に普及しはじめ、導入から20年以上が経過している。
POSシステムの導入には、ハードとソフトの両面でメリットがある。ハードのメリットとは、レジ処理業務の効率化・正確化が実現できること、また、商品バーコードを使うことにより値づけ作業の省力化ができる点にある。最近では、商品1個1個に小さな電波を出すマイクロチップを印刷しておき、レジのゲートに買物カートを通すだけで、まるごと商品を読みとって瞬時に精算できるしくみが開発されている。
POSシステムにはソフトのメリットもあり、実はこれこそ重要である。POSシステムで収集される単品レベルの販売データを、商品管理、売場管理、顧客管理に使用し、小売店舗のオペレーションが効率化できるというメリット、そして、POSのデータがEOS(電子式補充発注システム)と連動して、オンラインによる自動発注が進められ、発注作業の効率化が可能になるというメリットである。
最近ではさらに進んで、小売業が仕入先に自社のPOSデータを提供し、品切れや過剰在庫にならないように、仕入先企業がジャスト・イン・タイムで商品を供給するシステムの構築が行われている。それはECR(効率的な消費者対応)と呼ばれている。なぜ効率的な消費者対応と呼ぶのかというと、EDI(電子データ交換)によって受発注コストを減らし、消費者に適当な商品を適当な量だけタイムリーに届けようとしているからである。
4 流通変革の3つの要素
そうした生産・流通システムの変革は以下のような3つの要素から成り立っている。第1に、小売業が需要不確実性に対応するために、在庫形成のスタイルをこれまでの「投機」(speculation)から「延期」(postponement)へとシフトさせている点である。ここで「投機的在庫形成」とは、需要が発生する以前に、需要を見越してあらかじめ在庫形成が行われることであり、「延期的在庫形成」とは、在庫形成が需要の発生する直前、あるいは需要が確定する時点にまで延期されることである。
しかし、小売企業が在庫形成を投機型から延期型にシフトするとき、供給サイドが商品を即納できないと販売の機会損失が高まる。このため、売れ残りリスクと販売の機会損失リスクの削減にむけて、供給サイドと小売サイドの協調に基づく適時・適量の生産・配送・販売システムの構築をめざすサプライ・チェーン・マネジメント(SCM)への取り組みが行われている。第2に、POSシステムとEDIの普及によって、個別需要レベルでの情報のやりとりが可能となり、生産システムが「規模の経済」を求めた集中生産から「範囲の経済」を求めた分散生産へシフトしている点である。
第3に、従来の生産・流通システムのもとでは、見込み生産による規模の経済の追求が行われてきた。そこでは、投機的在庫を専売チャネルを通じて販売する「プッシュ戦略」が基本とされ、リベートや返品を通じた売れ残りリスクのシェアリングに重きが置かれてきた。それに対して、最近では、分散的な受注生産を実施するうえでの関係の経済性(取引コストや情報コストの節約)の追求が行われている。実需に限りなく近い在庫形成を通じた「プル戦略」が基本とされ、そのために、需要情報・供給情報をめぐる情報のシェアリングが重視されている。
Copyright©, 2003丸山雅祥
この「ビジネス・キーワード」は2001年1・2月配信の「メールジャーナル」に掲載されたものです。