勝者の呪い (Winner’s curse)【後編】

末廣英生

前回、「勝者の呪い」という現象を、その言葉が語られるようになった石油採掘ビジネスにそくして説明した。しかし、その説明から明らかなように、この現象は、「宝の山当て競争」の性質を持つあらゆるビジネスに起こる。そして、その様なビジネスは、古今東西枚挙にいとまがない。

例えば、その様な競争のうち最もルールがはっきりしているのは、石油採掘ビジネスのような、競争入札による市場の争奪戦であろう。ところが、競争入札という仕組みは、実は、現代の市場経済に固有のものではなく、時と所を超えて用いられてきた取引の仕組みである。例えば、歴史を2000年以上遡った古代ローマ帝国では、穀物に課された十分の一税を徴収するのに、競争入札で徴税請負人を選抜した。毎年作物の収穫に先立って、ポリスごとに、徴税請負人となることを希望する者が、帝国に納税する額を提示する。最高額を提示した者が請負人に任命され、帝国に対してその約束額の納税義務を負う。作物の収穫期になり、徴税請負人は実際に徴税活動を行う。実際に徴収した額から帝国に約束した額を納税した残りが、徴税請負人のものとなる。作物の実際の収穫は、徴税請負人の選抜以降の天候などの様々な要因に左右される。だから、徴税請負人となろうとする者は、その年の穀物収穫量を慎重に見積もり、それに基づいて自分が帝国に約束する納税額を入札する。広大な属州から十分の一税を取る、というローマ帝国の繁栄を支えていたこのビジネスが、現代の石油採掘ビジネスと全く同じ構造を持つことは明らかである。

競争入札の勝者が、石油採掘ビジネスのように1社である必要はない。例えば、今現在ヨーロッパの通信ビジネスでは、欧州各国が自国の携帯電話の事業権を競争入札にかけたことから、主要通信会社が大きな戦略上の決定に直面していることが連日報道されている。携帯電話事業は、ネットビジネスのゲートウエーとして巨大な潜在的市場が眠っていると言われている。ところが、イギリスで行われた入札で見られたように、その潜在的なビジネスチャンスを見込んだ激しい入札競争の結果、通信会社は免許を入手するために政府への巨額の落札価格の支払いに直面するか、さもなければその国での事業から撤退するか、という困難に直面している。この欧州各国の携帯電話免許入札では、勝者は1社ではない。各国とも4社程度の免許枠が設定されている。免許は、入札額が高額であった会社の順に、免許枠まで与えられる。免許枠が4社なら、勝者は4社ある。しかし、入札参加(希望)者が免許枠よりもずっと多く、免許が高額入札の順に行われる限り、「勝者の呪い」は同じように起こるはずである。

欧州での携帯電話免許入札の考察から、「宝の山当て競争」が、競争入札のような「入札額の上位から何社かが、市場での平等な活動権を独占的に得る」という形式で戦われるのでなくても、「勝者の呪い」が起きることがわかるであろう。つまり、ビジネスチャンスが埋まっている潜在的な市場があったとして、その市場に参入するときの先行投資の大きさで、その市場での結果的なマーケットシェアーが定まる、という一般的な新規ビジネスの発展プロセスを考えてみよう。先行投資額が小さくても市場参入をあきらめねばならないということはないが、最終的に手に入れられるマーケットシェアーは先行投資額が大きければ大きいほど大である、と仮定しよう。ならば、この競争では、競争入札のように勝者が市場の独占権を得ることはないが、市場の有望さについて強い確信を持った企業ほど巨額の先行投資をする、という石油採掘ビジネスと同じ原理が働いている。だから、「勝者の呪い」が同じように起こるはずである。

このように、「勝者の呪い」は、新規ビジネスへの投資一般に非常に広く現れる現象である。だから、先にそれを石油採掘ビジネスにそくして説明したことを、新規ビジネス一般に翻訳してまとめて述べておこう。

  1. 新事業への挑戦においては、「この事業はいける」と強い確信を抱いた者がそのチャンスをものにする。
  2. しかし、チャンスをものにした彼が本当にヒーローかどうか、よく考えてみなければならない。チャンスをものにした者は、必ずや、自分の判断は過大であった、と思い知ることになる。
  3. もしも、その事業への投資が、その過大だった自分の判断のみに基づいて行われていたのなら、あとの祭りである。チャンスはものにしたかもしれないが、実際の収益性に比して過大に行われた投資は、コストとなって彼の肩に重くのしかかってくることになる。彼は、ライバルとの競争に勝っただけで、ビジネスには破れたのである。
  4. 様々な事業分野で、新事業への挑戦者がすべてこの様に行動していたのでは、競争に勝った負けたの繰り返しだけがあることになる。そして、競争の結果新事業の責任者となった者にそれにふさわしい利益を与えることを通じて、長い目で見てこの世の中に自立した事業分野が増えていく、ということはないであろう。
  5. しかし、その事業をものにした彼が、その事業への投資時点で、新事業への挑戦で先んじるほどの成功の確信をそのまま自分の目からだけ評価するのではなく、同じ境遇にあるライバルの間で自分が勝ち抜いてそうなるのだと言うことをいわば客観的に評価し、それをあらかじめ冷静に自分の経済計算の中に織り込んでいた場合は、話が違ってくる。その様な「競争に勝ったときに利益が出せる、計算し尽くされた投資規模」でその事業分野をものにできれば、彼はチャンスをものにし、かつそのチャンスから引き出せる収益をそっくりすべて実現できることになる。彼こそが、競争にもビジネスにも勝ったヒーローである。
  6. そして、その様なヒーローを生み出すことによって初めて、可能性にすぎなかった新事業の芽は、継続性のある自立した現実の事業となって行くであろう。
  7. ただし、その様なヒーローは、彼のみの資質で作り出されるのではない。競争の参加者すべてが同じように冷静な投資戦略に従って行動する、という競争の土壌の上で初めて、ヒーローは誕生することができるのである。ライバルの誰かが「勝者の呪い」の事実に気づかず、結果として競争に勝つためだけの行動をとり続けたなら、新事業の潜在的な自立可能性はそれだけそがれることになる。たとえ自分は「勝者の呪い」の事実を理解していたとしても、その様な愚かなライバルに競争で勝つにはその分過剰な投資が必要となり、それが収益を圧迫するからである。

最後に、このコラムではその様には述べなかったが、上の説明は、すべて数学と統計学の言葉を使って厳密に書き下し、結論を論理的に証明することが出来る、そういう説明であるということをことわっておこう。と言うことは、翻って、上で述べた説明は、その説明力の限界も含めて、誰もが認め、理解できるはずの説明だ、ということである。もちろん、石油採掘ビジネスの関係者自身の間では、石油採掘権入札ではなぜだかわからないが後になって「勝者の呪い」が起こるので、入札価格の設定にはその分慎重にならなければならない、という実務的ノウハウだけは知られていた。その業界で生きていくのに、あるいは、そのノウハウだけで十分であったかもしれない。しかし、今では、「勝者の呪い」がなぜ起きるのかは、例えば万有引力がリンゴの落下を説明するのと同様の、誰もが認める原理によって説明できることがわかっているのである。物理世界の理解にとって万有引力の原理がそうであるように、単に経営現象に対処するノウハウを知るということを越えてその現象の原理を理解するということは、ビジネスに携わる人々にとって大きな意味を持つ。だから、「勝者の呪い」は、米国のビジネススクールのMBAプログラムではその理屈が授業で講義されているし、そうした授業で使われる教科書にも書かれている。神戸大学経営学部では、「勝者の呪い」は今年度前期の夜間主コース授業「決定分析」で講義されている。社会人大学院の学生でこの授業を聞かれている方もおられるようである。

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Copyright©, 2003末廣英生
この「ビジネス・キーワード」は2000年6・7月配信の「メールジャーナル」に掲載されたものです。

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