リダンダンシー

原拓志

リダンダンシー(redundancy)は、冗長性と訳される概念である。The Chambers Dictionary(Chambers Harrap Pub Ltd)によれば、もとの形容詞redundantには、押し寄せて、溢れて、余るほど豊かな、という意味があるのに加えて、(表現や労働力などにおいて)余分な、無くてもよい、という意味があるとされる。多くの他の辞書では、後者の語義が先に来ているので、現代ではその意味で使われることが多いのだろう。しかし、辞書では、そう説明されているとしても、経営において、リダンダンシーは本当に不要で無くてもよいものといえるのか?

ここでは、経営においてリダンダンシーが関わる二つの問題に注目したい。それは、安全とフレキシビリティである。リダンダンシーは、これら二つの問題に正と負の両面で関わっている。順に見てゆきたい。

経営における安全の重要性については、今さら強調するまでもない。製品ないし運営するシステムが事故を起こしたことで経営危機に陥った企業の事例は、近年だけでも相当数にのぼる。こうした事故を未然に防ぎ、安全を確保するために、システム設計においてリダンダンシーが組み込まれる。たとえば、同じ設計の仕組みをバックアップとして並置ないし待機させる。あるいは同じ機能を異なる設計で重複させて組み込んでおく。こうしたリダンダンシーの利用は、ハードウェアやソフトウェアなど人工物だけではなく、組織設計においても採用されることがある。

しかし、安全に関するリダンダンシーには負の面もある。まずはコスト高だ。同じ機能を果たす仕組みや組織を重複して保有するわけであるから、インプットが増えてもアウトプットは増えない。それに加えて、安全それ自体の視点からも、リダンダンシーには負の面がある。たとえば、システムの複雑性を増やす。そのため誤作動の可能性が増えるかもしれない。また、リダンダンシーを当てにした不安全行動を誘うかもしれない。同様に設計においても慎重さが失われる可能性がある。そのうえ、リダンダンシーを持たせたところで、共通の原因で、バックアップが同時に、あるいは連鎖的に機能不全に陥る可能性はなくならない。このように、リダンダンシーを増やすことは必ずしも安全を増すとは限らない。

次に、フレキシビリティの確保にもリダンダンシーは必要となる。経営を取り巻く環境が安定している場合には、システムに要求される機能も安定するため、システム構造を特定化して、不要なものを徹底的に排除できるだろう。しかし、昨今のようにグローバル化やネットワーク化などの進展によって競争環境の変化が激しくなると、システムに機能および構造のフレキシビリティが要求されるようになる。このとき、リダンダンシーが求められる。

たとえば、ニーズに応じた様々な仕様が要求される場合、様々なツールや装置を予め備えておいて、要求に応じて的確なツールや装置を繰り出すという方法がある。このとき、予備的に配置されているツールや装置は、リダンダンシーである。また、多能工などもリダンダンシーを有すると見ることができる。本来、人間能力をリダンダントという概念で把握するのは適切ではないとは思うが、経営の視点で機能的に捉えるならば、ジョブローテーションや教育訓練などを通じて従業員に現在の担当業務以外のスキルや知識を習得させていることは、従業員の能力におけるリダンダンシーと見なすこともできるだろう。贅肉を削いだという意味で、リーン(lean)生産と呼ばれた日本型生産システムは、在庫や手待ちなどの目に見えるリダンダンシーを徹底して排除する一方で、従業員やサプライヤーにリダンダンシーを保有させ、それを適応や改善に利用することで、フレキシビリティを維持し高めたといえるのではないだろうか。従業員の知的能力までリーンにしていたら、安価で高品質でフレキシブルな生産など出来なかったであろう。

また、イノベーションにつながる知識創造においても、情報のリダンダンシーが必要だとされる。個々の成員が情報や知識のリダンダンシーを保有することで、多方向的・多層的なコミュニケーションが生まれ、新たな知識が創造される機会が生まれる。また、情報や知識のリダンダンシーは、組織内における信頼の基盤ともなる。

このように、フレキシビリティの確保や知識の創造に、リダンダンシーは必要不可欠である。しかし、ここでも負の面がある。一つは再びコスト高である。予備のツールや装置を維持するにはコストがかかる。他方、従業員の能力におけるリダンダンシーについては、スキルが増えるごとに比例的に賃金を上げるのでなければ、コスト高の影響を和らげることができる。それが日本型生産システムの、低コスト、高品質、高フレキシビリティの両立の鍵であったといえる。とは言え、スキルもコミットメントも高い従業員を維持するためには、賃金その他、それなりにコストがかかる。近年のように資源のグローバル調達やモジュール化生産(これ自体もリダンダンシーを内包している)が浸透してくると、従業員の能力のリダンダンシーが競争力の決め手となる領域は、従来よりも狭まるであろう。また、従業員の能力におけるリダンダンシーが、従業員の疲弊をまねく懸念も指摘されている。さらに、情報や知識のリダンダンシーが変革のスピードを遅らせる、結果を妥協的にするという問題も示される。こうした負の面を踏まえると、フレキシビリティの確保においても、リダンダンシーを単に増せばよいということにはならない。

以上のように、経営においてリダンダンシーは決して不要なものではない。それどころか、安全やフレキシビリティという、現代経営にとって特に重要な問題への対処に、必要不可欠なものだとさえいえる。しかし、だからといって、いずれの問題においても、リダンダンシーが単に多ければ良いというわけでもない。リダンダンシーを、どこに、どのように、どれだけ保有するかは、現代経営の重要課題だといえる。

参考文献
  • N. G. レブソン(松原友夫他訳)、『セーフウェア』、翔泳社、2009年。
  • 宗像正幸、『技術の理論』、同文舘、1989年。
  • 野中郁次郎、『知識創造の経営』、日本経済新聞社、1990年。

Copyright © 2011, 原拓志

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