アントレプレナー(Entrepreneur)

忽那憲治

起業家活動(Entrepreneurship)に関する研究は、欧米においてはここ20年でかなりの蓄積を見るに至っており、そうした学術研究の成果が政策にも反映される形で起業家社会の構築および経済の活性化に貢献している。起業家活動は、事業機会の認識・評価、経営チームの組織、資金調達、企業の成長管理、投資資金の回収など多様な要素から構成されるが、アメリカにおける代表的テキストであるJeffrey Timmons, New Venture Creationも指摘しているように、起業家活動プロセス推進の中心は起業家(Entrepreneur)である。しかし、わが国では経営学、経済学の両分野において、起業家そのものに関する研究の蓄積は浅い。経営学において主たる研究対象は組織であり、伝統的経済学(新古典派経済学)においても企業の規模や企業の経営者(起業家)そのものが重要な意味を持つことはなかった。一方欧米では、起業家に関する研究も多様な側面から学際的にアプローチされるようになっており、起業家が極めて多様な存在であることが明らかになってきている。

まず、起業家研究における1つの大きな流れは、企業を興す前段階に注目するというものである。将来事業を興すことに関心を持っている個人はNascent Entrepreneurと呼ばれており、こうした起業家予備軍の特徴を明らかにしようとする研究が進展している。例えばレイノルズは、アメリカの成人人口の約4%がNascent Entrepreneurであるとし、かつこれらは大きく3つのグループ(年齢や雇用形態等で分類)から構成され、新規開業の83%がこれら3つのグループから生まれていることを指摘している。カーター他は、アメリカの起業を検討している71名について18ヶ月後の追跡調査を実施し、48%が開業、22%が断念、残りの30%は依然模索中であるとの状況を報告するとともに、開業に至ったグループにおける特徴(事業実現に向けた活動の積極性など)を指摘している。

もう1つの研究の流れは、実際に事業を興した起業家について分析を進展させるというものである。ウェストヘッドとライトは、起業家には初めて事業を興した起業家(Novice Entrepreneur)と、これまでに事業を興した経験のある起業家(Habitual Entrepreneur)がおり、さらに後者のHabitual Entrepreneurには2つのタイプ、すなわち1つの事業を終えてから新たに別の事業を興すSerial Entrepreneurと、複数の事業を同時並行的に行っているPortfolio Entrepreneurがいることをイギリスに関する大規模なアンケート調査によって明らかにしている。また、これら3タイプの起業家は、起業動機、行動様式、資金調達源などが大きく異なるが、起業後のパフォーマンスには大きな差が見られないことを明らかにしている。このほか、男性起業家(Male Entrepreneur)と女性起業家(Female Entrepreneur)という視点からの分析も、支援施策のあり方との関連で研究が進展している分野である。男性と女性起業家の支援に対するニーズは異なるのか、同じなのかという疑問に対して、こうした分析の先駆的な研究であるバーリー他やクリスマン他は、両者に違いは見られず、女性向けに特化したサービスの必要性はないと結論づけている。

また、起業家が多様であることから起業動機も多様である。こうした起業動機の多様性との関連での起業家研究の新しい流れとして、リードベターの研究以降、社会的貢献を起業の目的とする社会起業家(Social Entrepreneur)の存在が注目されるようになってきている。ただ、こうした社会起業家の実態についての学術研究は今のところほとんど見られないのが現状である。

ところで、低い新規開業率、高い失業率に苦しむ日本経済とは対照的に、イギリスの新規開業率は現在13%を超え、失業率は4%程度にまで急速に低下してきており、以前「イギリス病」と呼ばれた深刻な構造的危機をみごとに克服している。こうしたイギリス経済の活性化のキーワードが「起業家社会」であるが、大企業中心の経済から中小企業・起業家重視の経済へと転換を図っていくなかで極めて重要な役割を果たしたものの1つが、大学・ビジネススクールでのアントレプレナーシップ教育および研究である。起業家活動に関する教育・研究、とりわけ起業家活動プロセス推進の中心である起業家研究の進展なくして、現在のイギリスの活気ある経済状態は達成し得なかったとも言える。神戸大学社会人MBAプログラムにおいても、起業家活動、起業家を研究テーマとする学生が多数出てくることを期待している。

参考文献
  • Birley, S., Moss, C. and Saunders, P. (1987) Do Women Entrepreneurs Require Different Training? American Journal of Small Business 12: 27-35.
  • Chrisman, J.J., Carsrud, A.L., DeCastro, J. and Herron, L. (1990) A Comparison of Assistance Needs of Male and Female Pre-Venture Entrepreneurs. Journal of Business Venturing 5: 235-248.
  • Carter, N.M., Gartner, W.B. and Reynolds, P.D. (1996) Exploring Start-Up Event Sequences. Journal of Business Venturing 11: 151-166.
  • Gavron, R., Cowling, M., Holtham, G. and Westall, A. (1998) The Entrepreneurial Society. Institute for Public Policy Research (IPPR).(訳書『起業家社会』同友館、2000年)
  • Leadbeater, C. (1997) The Rise of the Social Entrepreneur. Demos: London.
  • Reynolds, P.D. (1997) Who Starts New Firms? Preliminary Explorations of Firms-in-Gestation. Small Business Economics 9: 449-462.
  • Timmons, J.A. (1994) New Venture Creation (4th Edition). Irwin.
  • Westhead, P. and Wright, M. (1998) Novice, Portfolio, and Serial Founders: Are They Different? Journal of Business Venturing 13: 173-204.
Copyright © 2003, 忽那憲治

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