自己成就的予言
加護野 忠男
ビジネスの世界では自己成就的予言という現象がよく起こります。最近の不況がその典型例です。皆が不況になるのではないかと思っていると実際に不況になってしまうという現象が、自己成就的予言です。
自己成就的予言というのはもともと心理学の概念で、自分で「こうなるのではないか」と思って行動していると、じっさいにその予言が現実のものとして成就してしまうという現象をさします。たとえば、人前で話すのが苦手だと思っている人は、人前に出ると緊張してしまうことが多い。だからうまくしゃべれなくなって、人前で話すのがますます苦手になるという現象が自己成就的予言です。
最近の日本経済には、自己成就的予言の結果としてもたらされた自己成就的不況という要素がかなりあるのではないかと私は感じています。多くのエコノミストが「右肩上がりの時代は終わった」といい始めてから、経営者の縮み志向が強くなり、実際に経済全体の収縮が起こってしまったのです。バブルの崩壊に伴う金詰りも不況の原因ではありますが、心理的な不況という要素も多分にあるのではないかと私は思っています。これがひどくなって、最近ではデフレスパイラルが心配されるほどです。
自己成就的予言は、マクロ経済に深刻な影響を及ぼすだけではありません。個々の企業の発展を阻害する原因にもなります。経済全体や業界が成熟したという予言が企業の発展を阻害してしまうのです。
どのようにすれば、この不況から抜け出ることができるでしょうか。心理的な要素のある不況ですから、経営者の皆さんの気持ちの切り替えがなによりも必要です。実際の成功例をもとに、自己成就的予言から抜け出るための鍵を探ってみましょう。
欧州のいわゆる成熟業界(テキスタイル、造船、化学・・・)を対象に、どのような企業が復活に成功したのかをイギリスの経営学者が調査をしました。復活に失敗した企業の経営者は、業界の状態が企業の利益レベルを決めると受動的に考えているのに対し、復活に成功した企業の経営者は、わが社のイノベーションがわが社の利益水準を決め、それが業界の利益水準を決めるというふうに能動的に物事を考えているということが明らかになりました。
米国企業を対象とした調査でも同じことが分かっています。さまざまな事業の収益性の違いのうち、業界の選択に起因するのは8.3%だけで、90%以上が業界要因以外の要因によっており、そのうち、少なくとも半分は「戦略の違い」によるものであることが明らかになっています。
日本の企業を対象に、われわれが行った調査でも、人減らしを行った企業は、業界が成熟していると思い込んでおり、その結果、発想が縮んでしまい、製品革新や設備投資のタイミングが遅れがちであることが分かっています。後に述べるように、成熟産業では、タイミングの遅れが致命的となります。産業が成長している産業では、イノベーションで先行されても、先行企業よりもより大きなスケールで投資して挽回するということもできますが、成熟産業にはこのやり方は通じないのです。
日本でも、自己成就的予言から抜け出るのに成功した例が出てきています。いわゆる成熟業界、構造不況業種でも、面白い企業が出てきているのです。あまり目立たないだけです。鹿児島の建設会社、弓場建設は、永住型の賃貸マンションに注目し、居住者が喜ぶマンションづくりをして施主である事業主(多くの場合農家)の投資効果を高めることによって、成長しています。
SOHO(スモール・オフィス・ホーム・オフィス)向けに文房具や事務用品を迅速に宅配するというサービスをすることによって、成功しているのはアスクルです。文房具業界全体は、ディスカウンターの出現によって厳しい状況にありますが、アスクルは、急速に成長しています。神戸の六甲歯研は、タイムリーな歯科技工サービスと技術情報の提供によって地域の歯科医に喜ばれています。六甲歯研は、兵庫県の「ひょうご経営革新賞」を受賞しましたが、その大賞を獲得したのは、新しい工法を開発した土木の会社、神島組です。経営革新賞は兵庫県が作った新しい表彰制度で、優れた経営をして高い業績を上げている企業を顕彰することによって地域の活性化を図ろうとするものです。その第一回の大賞に成熟産業の企業が受賞したことは喜ばしいことです。多くの企業に元気を与えてくれます。
○成熟産業のイノベータの発想:顧客の問題を解決する
こうした、成熟分野の優良企業に共通しているのは、2つの発想です。1つは、顧客の問題を解決しようという発想で、もう1つは、業務の幅を拡大するという発想です。
なぜ問題解決という発想が必要か。説明は不要でしょう。成熟分野では、顧客がさまざまな問題を抱えておられます。その問題を上手に解決してあげることによって顧客に喜んでもらうことができます。それがビジネスになるのです。問題解決という視点から見ると不況はチャンスです。不況になれば、問題を抱えている人々が増えてくるからです。
弓場建設は、資産デフレで困っている農家や消費者に問題解決を提供しました。資産デフレで土地が値上がりしないということになると、消費者はこれまでのような資産形成ができません。ローンでマンションを買って住んでいるうちに値段が上がるので、古いマンションを売って、より大きなマンションに住み替えるという資産形成ができなくなってきたのです。資産デフレのもとでは、マンションを買うより借りる方が有利なのです。ところが、永住に耐えるような良質な賃貸マンションは民間ではあまり供給されていません。資産デフレのなかで農家も困っています。資産インフレ時代は土地を遊ばせておいても、値上がりが期待できたのですが、資産デフレ時代には、土地の有効活用を図らなければなりません。消費者の要求にこたえるには、永住型の賃貸住宅が必要ですが、永住に耐えるような賃貸住宅を作ることはできません。コストがかかりすぎるからです。このような状況で、弓場建設は、消費者と農家の問題を同時に解決するアイデアとして、低廉な永住型賃貸住宅というコンセプトを作り出したのです。そのために、永住型の賃貸住宅を安く建設する工法を開発しました。それが成功につながったのです。官公需に依存していた地方の建設会社の多くは苦労していますが、弓場建設は、自社が開発した事業の仕組みをフランチャイズ方式で展開し、地方の建設会社の問題を解決するという仕事までしています。
アスクルは、多様化した事務用品の入手に困っているSOHOの問題を、宅配サービスによって解決した会社です。夕方の3時までにファックスかeメールで注文してもらうと、翌日に配送するというサービスを始めたのです。明日来るからアスクルなのです。コンセプトがそのまま会社名になっています。最近は、午前11時までに発注してもらうと、午後には届けるというサービスを東京と大阪でやっています。アスクルからキョウクルになりつつあります。
治療コストに敏感になった患者に対応するためには、歯科医は、仕事の質を高めながら低コスト化を図らなければなりません。これまでのやり方を踏襲していたのでは、歯科医院の経営は成り立ちません。実際に、廃業する歯科医院も増えているようです。このような歯科医院の問題を解決したのが六甲歯研です。歯科医院は、これまでのように、歯科技工士を抱えておくことはできなくなっています。しかし、歯科技工士の仕事は不可欠です。また金属の義歯に変わってセラミックの義歯が増えてくると、病院のなかで義歯を作ることも難しくなっています。六甲歯研は、これまで歯科技工士がしていた仕事を請け負うという業務をしているアウトソーシング会社です。
○仕事の幅を広げ、うまく束ねる
お客さんが困っている問題を解決するためには、業務の幅を広げていくことが必要です。これまでどおりの仕事をしていたのではお客さんの問題を解決することはできません。
建設会社はたんに建物を建てるという業務のなかに閉じこもっていてはなりません。弓場建設は、業務の幅を積極的に拡大しています。これまで建設会社は施主の要望にこたえるための仕事をしていましたが、弓場建設は施主ではなく、居住者を見て仕事をしています。居住者にとって家賃が安いということも大切ですが、生活費が安くつくということも大切です。弓場建設は、居住者の生活費を下げるという仕事もしています。マンション建設中に近くのお店を回って、居住者向けの割引を依頼しています。建設会社の伝統的な仕事ではありませんが、居住者の要望にこたえるのには必要な業務なのです。
文房具業者がSOHO顧客の問題を解決しようとすると、スピーディーな配送という業務を行わなければならなりません。アスクルの場合には、配送業務それ自体にかんしては宅配業者を利用していますが、スピーディーな出荷のために、配送センターを自ら設立し運営しています。翌日配送を考えれば、自らロジスティクス業務を行うことも必要なのです。最近では、事務用品や文房具だけでなく、オフィスで必要となる飲料やスナックまで供給しています。業務の幅だけでなく、商品の幅まで拡大しているのです。六甲歯研も、単に技工製品の加工・配送だけでなく、歯科医院に技術情報を提供するというサービスを行っています。
○イノベーションで先行するために
成熟産業でも、イノベーションを通じて市場を拡大することは可能です。実際に、新製品のイノベーションによって成熟市場が再び拡大することもあります。かつて、焼酎は酒類間競争に敗れ、衰退しつつある酒類でしたが、さまざまなイノベーションのおかげで、今ではウィスキーを越える地位を獲得しています。缶チューハイのイノベーションのおかげで、このままではビールを超えてしまいそうな勢いです。エアコンや洗濯機も製品イノベーションで市場拡大が起こっています。成熟業界では、このイノベーションに関して遅れをとらないように注意しなければなりません。成長産業と違って、成熟産業では後から追いかけるのが難しいからです。競争相手よりも大きなスケールで投資をして挽回するということができないからです。業界の内外で起こっていることに注意して、イノベーションに遅れをとらないようにしなければなりません。遅れをとらないためには、一般の顧客よりも一歩すすんだ要求を持つ顧客と接触しておくことが必要です。このような顧客を、経営学では、リード・ユーザーといいます。リード・ユーザーは、厳しい要求を投げかけてくるので、営業担当者から嫌われることが多いからです。したがって、リード・ユーザーには、社長が自ら出向いて行って情報を取ってくることが必要です。わが社のリード・ユーザーは誰かを考え、ひざを交えて話をして、教えを請うべきです。かならずヒントが得られるはずです。
Copyright©, 2003 加護野 忠男
この「ビジネス・キーワード」は2002年8月配信の「メールジャーナル」に掲載されたものです。