現実の社会的構成

吉田 満梨

シリコンバレー歴史協会(Silicon Valley Historical Association)が所有する映像の中に、1994年にApple創業者のステーブ・ジョブズに対して実施されたインタビューがあります。「Steve Jobs Secrets of Life」と題されたその映像で、彼は次のように語ります。

“世界とは変わることのないもので、人生とはその中であまり壁にぶつからずに生きるべきものだと考えられがちだ。でも、それはとても限定的な意味での人生であり、ひとつのシンプルな真実を発見しさえすれば、人生はずっと広くなる。その真実とは、あなたが人生と呼ぶ周りのあらゆるものは、賢さにおいてあなたと大差ない人々によって作られた、ということだ。だから、あなた自身もそれを変えたり、影響を及ぼしたり、他の人にとって有用なものを作ったりすることができる、ということだ。”

出典:Silicon Valley Historical Association “Steve Jobs Secrets of Life” Youtube.

確かに、世界に対する見方をこのように変えることは、人生や取り巻く環境に対する私たちの態度を、ずっと主体的なものへと変えてくれるでしょう。そして、彼が人生を通じて作り出したいくつもの製品・事業が実際に世界を変えた事実は、この言葉に大きな説得力を与えています。

ただし、ジョブズが多くの人がそう思っていないという前提で語っているように、私たちのほとんどは、これほど大胆に世界に影響を及ぼすことができるとは、信じていないように思われます。ジョブズの言葉を聞いても、それは彼の能力や性格、自信ゆえに言えることであり、自分には当てはまらない、と真に受けない人もいるかもしれません。逆に、彼の言葉に大いに鼓舞されて、世界を変えるつもりで行動したものの、組織の壁や思うようにならない現実にぶつかり、与えられた世界で幸せを探す姿勢へと戻ってしまう人もいるかもしれません。
結局のところ、世界の中で、自分自身の行動によって好ましい影響を与えられる範囲は存在しても(例えば、与えられた仕事で成果を出したり、働きながらMBAを取得したりなど)一部にすぎず、自分のコントロールの及ばないより大きな部分が存在する(新しい仕事や産業を創り出したり、教育制度のあり方そのものを変革したりすることは容易ではない)、という考えを多くの人々は当たり前のものとして受け入れています。

では、この「当たり前」と私たちが見なす現実は、どのように成立しているのでしょうか?

この問いに直接答えようとした本が、ピーター・L. バーガーとトーマス・ルックマンによって著された『現実の社会的構成―知識社会学論考(新版)』(山口節郎訳、新曜社、2003年)という、理論社会学の名著です。原著が書かれたのは半世紀以上前の1966年のことで、経営学にも大きな影響を及ぼした現象学的社会学や構築主義(social constructionism、社会構成主義とも呼ばれます)の古典の一つに位置づけられています。

本書の議論は、経営現象に焦点を当てているわけではないため、企業や産業の事例は一つも登場しません。読者の理解を促すために、シンプルな例が用いられることはあっても、ほとんどが概念的な説明から構成されている、純粋な理論書になります。
そのため、一般のビジネス書と比べて決して読みやすいとは言えないかもしれませんが、上記のように私たちが日常を生きる社会的現実が主題であるため、抽象的な議論に慣れてしまえば、自身の経験を含む身近な具体事例を対応させて、腑に落ちながら読み進めることができるでしょう。

では、私たちが経験する社会的現実は、一体どのように成立しているのか。著者らは、3つの本質的な特徴を指摘します。それは、社会は人間の産物であり、社会は客観的な現実であり、人間は社会の産物である、という特徴です。

一つ目の「社会は人間の産物である」とは、私たちを取り巻く社会的秩序は、自然的環境によって与えられたものではなく、進行中の人間の活動の産物としてのみ存在することを意味します。私自身の専門はマーケティング論ですので、今日の私たちに自明の生活様式を形作っている製品・サービス(例えば、スマートフォン)を例として考えてみましょう。今日の日常的世界は、もちろんそうした製品・サービスを最初に生み出したイノベーター(iPhoneを作ったジョブズ)がいたからこそ可能になったという意味で、人間の産物と呼べます。しかしより重要なのは、それを最初に採用した人々、そして現在もその製品・サービスを利用している外ならぬ私たち自身も、スマートフォンが当たり前に活用される社会的秩序の生産・再生産に関わっていることです。
ただし、こうした人々の相互行為(例えば、Apple社がiPhoneを提供し、従来携帯電話を利用していた人々がそれを採用する)が繰り返し起こると、それは特定の行動パターンや役割遂行(スマートフォンのメーカーとユーザー)として類型化されるようになります。その結果、「制度」と呼ばれる社会的秩序(スマートフォン市場)が形成され、逆に人間の行動に対して影響を及ぼすようになるでしょう(既存の携帯電話メーカーがスマートフォン市場に参入する、また他の携帯電話の利用者もスマホへの変更を検討する、など)。こうした制度的秩序は、とりわけ制度を作り上げた当事者以外の他者にも継承されていく過程で、客観性という性格を帯び、人間にとって外的で、強制力のある事実となります。二つ目の「社会は客観的な現実である」特徴は、こうした事態を指しています。
さらに、こうして客観的現実と見なされた制度的秩序の中では、一人ひとりの人間は、特定の役割を遂行することによって、社会的世界に参加していきます。つまり、他者が生きる世界を引き継ぎ、客観化された行動の諸類型に自らを同一化することによって、現実を内在化するのです。これが、「人間は社会の産物である」という三つ目の特徴です。
こうしたプロセスを経て、人間が生み出した諸現象をあたかもモノ(人間の活動を超越した対象)であるかのように理解すること、すなわち「物象化」が起こることを、著者らは指摘します。

こうした理解は、自分自身の行動の影響がまったく及ばない領域が存在するがゆえに、世界を変えられない訳ではないことに気づかせてくれます。人間はつねに社会的現実の創造プロセスに関与しているのですから、むしろ私たちが変えられないものとして物象化的な仕方で世界を理解する結果、自覚するしないにかかわらず、既存の制度的秩序の再生産に加担していること。それこそが、現実を変えがたく強固なものにしていると言えるでしょう。

ただし、「物象化とは意識の一つのあり方である」と著者らは述べています。ジョブズが隠された真実の発見と呼ぶように、私たちの現実がいまある形とは違った可能性を持つことに、気づくことはできるかもしれません。
実際には、私たちをとりまく制度的秩序、現実に関する知識は、例に挙げた市場環境だけでなく、企業組織や家族関係など、人と人との相互作用が生じるあらゆる場所に成立しています。私たちが、特定の役割(例えば、大手メーカーの営業責任者)を遂行している一つの制度的秩序から、異なる役割と制度(神戸大学の大学院生)へと移行することは、世界に対する見方を変える一つの契機になるかもしれません。同じ意味で、現状の役割遂行にとって有益な実務的な知識だけではなく、本書のような純粋な理論を含む異なる知識体系に触れることで、現実に対してより広い主体性を獲得する一助となれればと思い、オススメ図書としてご紹介させていただきます。

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