予定利率引き下げ
高尾厚
1995年制定、翌年4月施行された新保険業法は、旧業法(1930年施行)と違い、保険会社が破綻するまで、「予定利率引き下げ」を認めていなかった。これは、日本国憲法に謳われた「私有財産の不可侵」の理念と整合するものである。とはいうものの、新業法施行後、7生保も経営破綻している。破綻社の契約者は当然ながら、十全の保障をうけられなかった。このような事実に鑑み政府は「破綻前」でも経営状態が芳しくない生保の「予定利率引き下げ」を容認できるよう業法改定を2003年7月18日の第156回参議院本会議で承認させ、間もない24日に施行させた。事の緊急性を監督当局が感じていたことをこれは窺わせる。
難解な専門語が多い保険業界なので、ここで「予定利率」を、保険会社が保険料算定にあたり資産運用による一定の収益をあらかじめ見込んで保険料を割り引く際の利率、と念のため定義する。さて、1985年のプラザ合意に起因するバブル経済の絶頂期に、市場規律の埒外にあった旧郵政省簡易保険局所管の簡易保険が6.5%の高い予定利率の簡保商品を発売するや、それに対抗して、民保も最高6%の予定利率の生保商品で追随した。また、大量に流入する保険料を内外の不動産、株式、公社債に投資し、往時「ザ・セイホ」は世界を震撼させる英単語にまでなった。
だが、「一寸先は闇」あるいは「無理は通らない」さらには「道理は引っ込まない」というように、1989年末株価が4万円目前をピークに暴落する。バブル崩壊・資産デフレの始まりである。その後、「失われた10年」といわれるように、超低金利政策にもかかわらず資金需要も株式相場も低迷状態のままである。銀行同様、生保も有利な資産運用を求めてあえぐ現状である。
具体的には、生保商品の大半は、超長期間(終身保険のばあいには文字通り終身)の契約である。そのため、残存期間の長い、高い予定利率をもちかつまた貯蓄性の高い、養老・終身保険を大量に保有する保険会社は、「利差損(=予定利率?現行利率)」つまり「逆鞘」にあえいでいる。このような窮状にある生保業界を救済しようというのが、「予定利率引き下げ」問題である。その際、既契約者を納得させる論理構成あるいは方便がいるのである。
ここで「温故知新」にならい、わが国の保険法制史を紐解こう。敗戦時に海外資産を接収され、疲弊した保険会社を救済するために、既契約者の保険料引き上げ無効訴訟の最終審で、ときの最高裁判所長官・田中耕太郎が採用した「保険団体論」である。その要旨をかいつまめば、以下のとおりである。保険制度は「大数の法則」を利用しながら相互救済をめざしたものである。そして、個々の保険契約者の期待する保障サービスの提供には、大数法則が利用可能な「保険団体」(保険契約の集合体)の存続が大前提となる。それゆえ、この団体が窮状にあるばあい、個々の構成員の既得権が侵害されるのはやむを得ない。
ここに、ある種の共同体至上主義の香りがするであろう。事実、この法理は1930年代ドイツのde factoの御用学者Walter Rohrbeckベルリン・フンボルト大学教授が提唱したものである。ここにde factoの御用学者とは、かれの学説が、「全体のための個の犠牲、将来のための現在の犠牲」、という一世を風靡したゲルマン的浪漫主義の色彩が濃厚であるということである。今回の監督当局の問題処理に際して、露わにされた「伝家の宝刀」もこの範疇に近い発想に由来するものと解される。現代社会の基本理念である「個人主義・私的財産の尊重」から少なからず乖離していると換言もできるからである。いずれにしても、今回の国会で承認された「破綻前」の予定利率引き下げ申請の最終判断は、規制緩和された市場にある保険会社の経営者にまかされる。だが、一企業のその行為で自社の経営難が表明されることはやむを得ないとしても、他の健全な会社あるいは保険業界全体への「負の外部効果」—–生保業界全体への悪しき風評の伝播や不安感の醸成——を与えかねず、少なからず微妙な問題なのである。
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