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バルブとバブル(Bulb and Bubble)

中野常男

小稿でいう「バルブ」とは、機械装置の「弁」を意味する“valve”でもなければ、「電球」という意味での“bulb”でもなく、同じ綴りの“bulb”でも「球根」(特にチューリップの球根)のことをいう。また、「バブル」とは、もちろん「シャボン玉」のことではなく、「熱狂的投機とその崩壊」をいう。

わが国では、秋になると園芸店やホームセンターの店先にさまざまな品種のチューリップの球根が並べられるが、なぜチューリップの「バルブ」が「バブル」と結びつくのであろうか。それは、チューリップの球根に対する投機熱 (fever)、具体的には、1630年代のオランダに生じたチューリップの球根への投機熱にこそ、「平成のバブル」と呼ばれる近年のわが国にみられた土地や証券の過熱した投機熱、あるいは、1929年の「大恐慌」をもたらした1920年代後半のアメリカにおける投機熱の原型が求められるからである。

以下、小稿では、バブルの歴史を論じたチャンセラーの著書(山岡洋一(訳)『バブルの歴史―チューリップ恐慌からインターネット投機へ―』日経BP社, 2000年(Edward Chancellor, Devil Take the Hindmost,: A History of Financial Speculation, Basingstoke: Macmillan, 1999)にもっぱら依拠しながら、その概要について見ることにしよう。

16世紀末にスペインからの独立を達成したオランダ共和国(=「ネーデルラント連邦共和国」)は、17世紀前半には西ヨーロッパ世界(=経済)の中心となり、世界最初の株式会社とされる「オランダ東インド会社」(=「連合東インド会社」)の設立(1602年)や、ヨーロッパで最初の中央銀行とされる「アムステルダム振替銀行」の設立 (1609年)など、さまざまなビジネス上の革新が展開された。商品市場であり、証券市場であり、かつ、金融商品市場でもあったアムステルダムの取引所では、通常の取引に加えて、穀物、ニシン、香料、砂糖、銅などの商品、さらには、東インド会社の株式が先物取引の対象として売買され、株式オプションや小口株式など、今日でいう金融派生商品(デリバティブ)の取引など、投機の坩堝(るつぼ)になっていた。すなわち、1630年代のオランダ共和国には投機熱が爆発しやすい条件が揃っていたのである。

ヨーロッパへのチューリップの伝来は、当時のスレイマン1世治下のオスマン・トルコ帝国に神聖ローマ帝国フェルディナンド1世の大使として駐在していたオジエ・ギスランド・ビュスベクが、ヨーロッパに球根を持ち込んだのが最初といわれる。チューリップは、ヨーロッパに紹介されてしばらくの間は、貴族か植物学者の庭園にしか見られなかったが、ビュスベクの帰任後数年が経つとヨーロッパ随一の富商であったアウグスブルクのフッガー家の庭園にも植えられるようになっていた。

チューリップは当時異国情緒のある珍しい花として珍重され、ビュスベクから球根の贈与を受けた植物学者カルロス・クルシウスは著書の『希少植物研究』でチューリップを紹介するとともに、その球根を巨額の代金と引き替えに頒布したといわれる。そして、ある晩、彼の花壇が掘り返されて球根が盗まれた結果、彼はチューリップ愛好熱の高まりによる最初の被害者ともされている。

チューリップは、ヨーロッパに紹介された当初から富の象徴とされ、投機の対象として適していた。収集家は、チューリップの品種を花の色や模様で分類したが、花の模様にはどうなるかわからない不確実性があり(実際には球根につくウィルスによるが、当時は知られていなかった)、もしやの可能性に賭ける余地があった。ごく普通の球根を植えると、貴重な模様の花が咲く可能性があった。チューリップの栽培は比較的簡単であり、手間がかからず、しかも、同業組合(ギルド)がないので、誰でも売買することができた。東インド会社の株式を買うだけの資力のないものでも、チューリップの球根なら買うことができたのである。

当初は、チューリップの市場は、球根を掘り出して植えるまでの間の夏に開かれた。しかし、チューリップの人気が高まると、年間を通じて取引できる仕組みが作られた。栽培者は球根の列に名前をつけ、それぞれの球根に番号をつけ、種類と植えたときの重量を記録しておく。それぞれの球根の取引記録を別の紙に記入した。

一般的な品種は花壇を単位に取引されたが、貴重な品種の球根は1個単位で取引され、アース(約0.05グラム)を単位に重量が量られた。チューリップの球根は、アムステルダム振替銀行の紙幣や東インド会社の株式と変わらないほど、標準化され画一化された商品として取引できるようになった。

後世に「チューリップ狂」(Tulipomania)(または「チューリップ熱」(Tulip Fever))と呼ばれる現象がはじまったのは、1634年頃、パリやフランス北部で球根の価格が上昇しているとの話を聞いたためか、新たな参入者がチューリップ市場に登場するようになってからである。後にオランダの園芸家に「ど素人」と軽蔑される、織布屋や紡績屋、靴屋、パン屋、雑貨屋、農民などが市場に加わり、チューリップ熱が高まるととともに、社会階層のほとんどを巻き込むまでに至った。ただし、富裕なアマチュア球根収集家は、それまで長期にわたって珍しい品種の球根に巨額を支払ってきたが、価格が急騰するようになると姿をみせなくなった。また、アムステルダムの大商人も、チューリップは富を示すものであったが、富を築く手段とは考えていなかったので、商売で得た利益はタウンハウスや東インド会社株式、為替手形などに投資した。

チューリップの市場は、参加者の増加に伴い、性格を変えていった。当初は相対で取引されていたが、やがて居酒屋の一室にブローカーや投機家が集まって、酒宴の中で、相対の交渉と入札という形で取引されるようになった。居酒屋は、娯楽の場であるとともに、金儲けの場でもあった。利益を確保した投機家や、期日になれば代金が入ってくると信じた投機家は、馬車や馬に利益をつぎ込んだ。「どんなに壮大な夢でも見ることができた。自分の財産がどこまで膨らむのか、想像すらできないと思っていた」のである。

1636年後半から1637年初頭にかけて、投機熱が最高潮に達したころ、球根が実際に受け渡されることはなかった。この時期、球根は花壇の土の中で眠っていた。球根の先物取引が登場し、それは「風の取引」と呼ばれた。売り手は、ある品種、ある重量の球根を春になったら渡すと約束する。春までの間に、時価との差額で取引を決済することもできる。取引のほとんどに手形が用いられ、春になって球根が掘り出され、受け渡される時期に、手形も決済されることになっていた。

そして、投機熱が最終段階になると、先物取引と裏付けのない信用の組み合わせによって、売り手の側にも買い手の側にも実態がない点で、みごとに釣り合いのとれた構図ができあがった。取引のほとんどは、対象となる球根がないので受け渡しができないし、裏付けとなる資金がないので手形は不渡りになるしかなかったのである。

何の変哲もない黄色の花が咲くクルーネン種は、1ポンド当たり20グルデン(フルデン)前後だったものが、数週間のうちに1200グルデン以上になった。球根の帝王の地位にあった最高級品種の「無窮の皇帝」は、「3年ほど前に2000グルデンで売買され、アムステルダム振替銀行で受け渡された」が、ブームの頂点では、わずか200アゼン(アースの複数形)しかないものが6000グルデンでも売れたといわれる。ちなみに当時のオランダの平均年間賃金が200〜400グルデンの間であり、小さなタウンハウスの価格が300グルデン前後であった。

しかし、1637年2月3日、チューリップ市場は突然暴落した。理由らしい理由とは、春が近づき、間もなく花の受け渡しの時期が来て、ゲームが終わることぐらいしかなかった。花卉取引の中心地であるハールレムで買い手がいなくなったという噂が流れた。翌日になるとチューリップはどんな価格でも売れなくなった。先物取引は決済されず、債務不履行が次々と起こった。園芸を職業にする人たちは、債務不履行を起こした投機家に支払いを求めたが、失敗に終わっている。チューリップ市場に関する訴訟が続いたが、1638年5月になってようやく政府の委員会が、合意価格の3.5%の支払いで売買契約を破棄できると宣言した。この頃にはアムステルダムの市場に収集家が戻り、珍しい品種の球根を安値で買うようになっていた。数年経つと「無窮の皇帝」などの希少な球根は、熱狂がはじめる前の水準にまで価格が戻った。だが、二流品、ぼろと呼ばれたごく普通の球根は、ブームの間は小口の投機家を引きつけていたが、以前の価格を回復することはなかった。

チューリップは、ブームの間、投機家の心をうまく捉えることができたように、暴落の後、虚栄を描いたオランダの画家の心をうまく捉え、それまでの頭蓋骨や砂時計などと並んで、贅沢や邪悪などの象徴として用いられるようになった。すなわち、チューリップは、愚かさの象徴となり、そのはかない美しさは軽薄者をひっかける幻想だとみられるようになった。

虚栄の象徴にはもう一つ「泡沫」(バブル)があり、人生の短さを象徴する言葉として使われている。泡沫はあっという間に膨らみ、美しく輝いて見るものを楽しませるが、一瞬にして消滅する。空気か風で維持されているにすぎない。「バブル」という比喩が使われるようになるのは、1720年にイギリスで起きた「南海の泡沫」(South Sea Bubble)の事件以後であるが、それまでの間は、「チューリップ」が後の「バブル」と同じ意味で用いられていた。鮮やかな色彩の花が一気に開き、それと変わらないほど突然に花びらが落ち、葉も茎も枯れて、自然の次のサイクルがはじまるのである。

以上が、「チューリップ狂」(または「チューリップ熱」)と呼ばれる、チューリップの「バルブ」が引き起こした「バブル」の概要である(山岡(訳), 37-46頁参照)。

「チューリップ狂」については、19世紀半ばのマッケイの論稿(Charles Mackay, Memoirs of Extraordinary Popular Delusions, 1841)をはじめ、多くの論稿で取り上げられている。しかし、その発生のメカニズムについて十分に検証されているとはいえない。異国趣味の希少な品種の価格が上昇したのは、遺伝学的に品種改良が難しいというファンダメンタルズに基づくものであり、その価格が暴落したのは、栽培に成功し再生産できるようになった自然の流れだといわれる。しかし、この説明では、一般の人たちが居酒屋で売買した一般的な園芸品種の価格がなぜ高騰し下落したのかは明らかにできない。「チューリップ狂」−栽培の難しい高額な希少品種と一般的な園芸種を区別するならば、二つの「チューリップ狂」− は孤立した現象ではないからである。ただし、少なくともホイト(Homer Hoyt)の説く「大馬鹿者の理論」、つまり、投機家が割高と思う資産を購入するのは、自分より愚かな者に売却できると考えているからだという理論は、この「チューリップ狂」にもよく当てはまるように思われる(後掲の吉野・八木(訳), 164-165, 378頁参照)。

なお、「チューリップ狂」時代のオランダにおいて、チューリップの球根に支払われた金額がどれほどの価値を持っていたのかに関して、1636年12月に書かれたある小冊子の著者は、3000グルデンのチューリップ1株と引き換えに、以下に挙げるような大量の品物が買えると述べている。

船1艘 500グルデン よく肥えた豚8頭 240グルデン
よく肥えた牛4頭 480グルデン よく肥えた羊12頭 120グルデン
小麦24トン 448グルデン ライ麦48トン 558グルデン
ワインの大樽2樽 70グルデン ビール樽4樽 32グルデン
バター2トン 192グルデン チーズ2000ポンド 120グルデン
銀のコップ1個 60グルデン 衣服1着 80グルデン
マットレス・寝具付きベッド1台 100グルデン    
(合計3000グルデン)
(後掲の明石(訳), 220-221頁参照)

小稿で論及した「チューリップ狂」については、イギリスでの「南海の泡沫」および、それと同時期にフランスで生じた「ミシシッピ・バブル」(Mississippi Bubble)と合わせて古典的バブルの典型として取り上げられることが多い。これらの古典的バブルに関しては、先のマッケイの論稿をはじめ、既に19世紀半ば以降多くの論稿で取り上げられている。これらの論稿を集めた論文集として、次のものがある。
  ○Ross B. Emmett (ed.), Great Bubbles, 3 vols, London: Pickering & Chatto, 2000.
   (なお、「チューリップ狂」関係の論稿は同論文集の第1巻に収録)

また、バブルの歴史を扱った近年の書物として、上掲したチャンセラーの著書に加えて、 例えば、以下のものを挙げることができる。
  ○鈴木哲太郎(訳)『ジョン・K・ガルブレイス バブルの物語―暴落の前に天才がいる―』ダイヤモンド社, 1991年(John K. Galbraith, A Short History of Financial Euphoria: Financial Genius is before the Fall, Tennessee, 1990)。
  ○吉野俊彦・八木 甫(訳)『C.P.キンドルバーガー 熱狂, 恐慌, 崩壊―金融恐慌の歴史―』日本経済新聞社, 2004年(Charles P. Kindleberger, Minias, Panics and Crashes: A History of Financial Crises, 4th ed., Basingstoke: Palgrave, 2000)。
  ○斎藤精一郎『大崩壊が始まるとき―金融恐慌と「三つのバブルの物語」―』(日経ビジネス文庫)日本経済新聞社, 2002年。

さらに、ヨーロッパにおけるチューリップの植物学的・文化的歴史を扱った書物として、次のものがある。
  ○白幡節子(訳)『チューリップ―ヨーロッパを狂わせた花の歴史―』大脩館書店, 2001年(Anna Pavord, The Tulip, London: Bloomsbury, 1999)。

また、「チューリップ狂」を扱ったノン・フィクションとして、次のものが挙げられる。
  ○明石三世(訳)『チューリップ・バブル―人間を狂わせた花の物語―』(文春文庫) 文藝春秋, 2000年(Mike Dash, Tulipomania: The Story of the World's Most Coveted Flower and the Extraordinary Passions It Aroused, New York: Crown Publishers, 1999)。

なお、「チューリップ狂」時代のオランダを舞台に、「フェルメールの絵のように謎めいた運河の街アムステルダムに燃え上がる不倫と策謀、当時の名画を豊富にあしらい、小説の面白さを極めた傑作」と評される、次に掲げる女流作家の小説もある。
  ○立石光子(訳)『チューリップ熱』白水社, 2001年(Deborah Moggach, Tulip Fever, New York: Deracorte Press, 1999)。

「チューリップ狂」(または「チューリップ熱」)、つまり、チューリップの「バルブ」に対する投機熱に起因する「バブル」は、如上のように、現在においてもさまざまな分野の書物の中で繰り返し取り上げられており、このことからも、かかる「バブル」が、17世紀当時のオランダのみならず、後世のヨーロッパに残した影響の大きさがうかがわれるであろう。

 
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