神戸大学MBAの創設時の思い出

奥林康司先生(神戸大学名誉教授)

 

神戸大学MBAの開設準備は1988年より故天野明弘学部長のリーダーシップの下で始められた。当時では経営学大学院への進学者はこれから学者として人生を歩む学生が想定されており、進学者は定員のほぼ半分ほどであった。実業界と学術界の壁が高かったのである。他方、工学部では就職後数年で大学院へ戻り知識を再研修するリフレッシュ教育が導入されていた。文系学部の場合は、会社から海外のビジネススクールに派遣され、MBAの知識を身に付けて帰国していたのである。そこで、国内でそれに相当する人材育成を可能にする制度として、社会人院生制度を国立大学では初めて導入することになった。

制度設計にあたり、実業界と意見を交換する場として、後の「日本型経営教育システム構想委員会」の原型が設立された。社会人院生を募集するにあたり、当時の状況では果たして応募者がどの程度あるか予想できず、院生の募集依頼に関西の大手企業を訪問したほどである。

また社会人院生制度の予算は文部省から与えられていないので、費用を捻出するために関西の企業を回り寄付をお願いした。この事例以降、関西の大手企業は大学の寄付には応じないという決定がなされたという話も聞いている。

社会人院生の指導は、年度ごとに指導教官1名を選び、その指導教官が社会人院生向けの時間割を作成し、各教官に講義をお願いしてまわった。教育に必要な予算の利用はその指導教官に一任され、週末のゼミの合宿や修士論文作成の調査に使われた。

のどかで自由な情景が目に浮かぶが、30年の歳月の中で経営専門職大学院が社会的にも認知された。多くの社会人院生が巣立っており、実業界と学術界の壁も低くなってきている。当時から見れば夢のような現実である。

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