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機密コスト (proprietary cost)

松井建二

 機密コスト(proprietary cost)とは、企業内部の機密情報(proprietary information)を外部に知られることにより、その企業が負担しなければならなくなるコストのことを意味する(注)。
具体的には、次のようなコストがそれに相当する。企業がある内部情報のディスクロージャーを行うと、他企業にその情報を知られるために、ディスクロージャーを行った企業は競争面で不利な状況に追い込まれ、その利潤が減少する危険性がある。あるいは企業をとりまくステークホルダーから、その企業にとっての不利な反応を引き起こす可能性も存在する。このようにディスクロージャーによる外部の反応を原因とする利潤の減少分を、機密コストと見なすことができる。なお内部情報のディスクロージャーのためには、その情報を収集・要約するコストや、あるいはディスクロージャーにともなって監査を受ける必要があればそのためのコストなど、様々な直接的なコストが付随するが、そうしたコストは包括的に開示コスト (disclosure cost)と呼ばれる。これら「機密コスト」と「開示コスト」は区別する必要がある。

 企業の経営者が、一般の資本市場参加者は知らない内部情報を有する状況は現実にあり得るものであり、そうした状況では、経営者は公表すると企業価値を下げるような悪い内部情報を外部に開示しない誘因を持つことは自然である。しかし機密コストが存在する場合には、企業価値を上昇させるような良い内部情報、例えば新製品の開発に成功した、などの情報でも、外部の望ましくない反応を防ぐ目的で開示しなくなる可能性が生じる。このように、機密コストは競争戦略における重要な概念となるため、国際的な研究では頻繁にとりあげられてきたが、それと比較するならば我が国では議論される機会が少なかったと言える。

 経営学の中でも金融・会計の領域では特に、客観性を持つ数理的表現を用いて書かれる学術論文が相対的に多いが、機密コストが企業の意思決定に与える影響を探るために、不確実性を要素として含んだ確率論的モデルを構築する理論研究がこれまでに多く発表されている。他方で、この機密コストが現実に存在するのか、また存在するならばそれは企業と市場にどのような影響を与えるのか、を実証的に検証する研究も過去より行われている。Smiley (1988)はアメリカマーケティング協会(American Marketing Association)を介して約300社の企業の経営者に対して質問票調査を行い、潜在的参入者の脅威に直面している市場では、「事業部の利益を隠す (masking the profitability of the division)」という手段を調査対象となったうちの実に79%の企業が利用しており、最も重要な参入阻止戦略となっていることを明らかにしている。この利益を意図的に隠す行動は、まさに良い内部情報を外部に開示しないことに相当し、機密コストが現実の企業のディスクロージャーに影響を与えていることを示唆している。このような状況下では、投資家への便益を図るためにセグメント別報告を促進することが1つの望ましい対応策となる。しかしながら、最近の研究であるAleksanyan and Danbolt (2015)では、英国の127社の企業を9年間にわたり時系列で調査し、IFRS第8号のセグメント別報告に関する会計基準の適用時には、企業は地域区分による詳細な情報を開示しなくなる傾向が出ていることを明らかにしている。そしてそのことは、やはり機密コストを意識したディスクロージャーに関する意思決定を企業が行っていることを示唆するという結論を提示している。

 海外だけでなく、国内でも様々な産業で合併・吸収による寡占化が進んでいる。経済学の知見に基づくならば、現代のように市場の集中度が高まりを見せる状況では特に、企業は競争相手となる他企業の反応を考慮した上で意思決定を行う必要性に直面することになる。この意味で、我が国で今後、「機密コスト」の考え方は、ディスクロージャーに関連する実務においても重要性を増すと筆者は考えているが、いかがであろうか。

(注)
"proprietary cost"は、Verrecchia (1983)により最初に提唱された概念である。日本語で書かれた文献では、椎葉・高尾・上枝 (2010)が機密コストの概念を解説し、かつそれに関連する最新の国際的な研究の展開まで詳しく紹介しているため、ディスクロージャー全般の話題に関心のある方は参照されたい。また、加井 (2010)は機密コストの概念に関連したディスクロージャーの数理モデルを構築する研究を行っている。

参考文献
加井久雄 (2010) 「予想利益の均衡開示戦略について」 太田康広(編著)『分析的会計研究』中央経済社, 31-67.
椎葉淳・高尾裕二・上枝正幸 (2010) 『会計ディスクロージャーの経済分析』同文舘出版.
Aleksanyan, M., Danbolt, J., (2015) Segment reporting: Is IFRS 8 really better? Accounting in Europe, in press. http://dx.doi.org/10.1080/17449480.2015.1027239
Smiley, R., (1988) Empirical evidence on strategic entry deterrence. International Journal of Industrial Organization, 6, 167-180.
Verrecchia, R.E., (1983) Discretionary disclosure. Journal of Accounting and Economics, 5, 179-194.

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