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徴利―西欧中世に おける利息の会計処理をめぐる原則と仮構―

中野常男

以前に、このコラムで、複式簿記に固有の用語である「借方」と「貸方」について、なぜこれらの用語が誕生したのか、その歴史的経緯について解説したことがある。端的に言えば、複式簿記の成立に結びつく組織的な会計記録は債権・債務の記録から誕生した。すなわち、現金や商品などと異なり、金銭の貸借取引や商品の信用取引などに起因する債権・債務は、これを文書的に証拠づけることなしには他者に対抗できず、このような商取引に伴う他者との貸借関係を文書化する必要性の中に複式簿記が誕生する大きな要因が存在したということである。今回は、債権・債務の記録に関連して、これに伴って生じる利息(利子)の受払いの記録について検討することにしたい。

利息とは、『広辞苑』によれば、「他人に金銭を使用させたものが、一定の割合で定期に受ける報酬」と説明される。要するに、金銭の貸借などに対して一定の利率で支払われる対価を意味する。今日的にも、過去的にも、金銭の貸借があればその対価としての利息の受払いは当然のことと考えられるが、例えば、宗教的見地から利息の受払いが禁止されたことがある。最も有名な事例は、13世紀前半に、有能な法学者でもあったグレゴリウス九世(Papa Gregorius IX: 在位1227〜1241)が公布した「徴利禁止令」であろう。

「徴利」(usura)を禁止することそれ自体は、これによって社会の安定性を確保しようとする思考に基づいていると考えられる。例えば、『旧約聖書』(「申命記」23.20)には、「同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない。」と記されている。また、スコラ学(スコラ哲学)の大成者であり、ローマ・カトリック神学の指導者であったトマス・アクィナス(Thomas Aquinas: 1225〜1274)も、『神学大全』(Summa Theologiae: 1266〜1273)において、「人が利息を伴う貸付けを憎むのは・・・完全に正当である。事実、そのことによって、金銭はそれ自身を生産するものとなり、交換を容易にするというその本来の目的から逸脱する結果になる。」と記している。

すなわち、当時にあって、利息とは、時の経過によって貨幣から生じる利益と考えられ、時間は神によって万物に等しく与えられるものであるがゆえに、「徴利」とは、時間(=「教会の時間」)を売買すること、つまり、金融業者は神にのみ属する時間を売って不当な利を得ることになるとして、「徴利の禁止」が説かれたのである。このときに「高利貸し」とならない唯一の貸付とは、『新約聖書』(「ルカによる福音書」6.35))に、「何も当てにしないで貸しなさい。」と記されているように、「貸付金を回収すること以外に何も期待しない貸付」であり、利息を徴収することそれ自体が「高利貸し」と見なされ、その場合には、高利貸しの破門や俗法無効宣言の対象となったのである。

このような「徴利の禁止」に代わってそれが容認されるようになるには、時間の認識に関して、「教会の時間」から「商人の時間」への転換が必要であった。換言すれば、商業・商人観の変容、つまり、蔑視から称賛への変容の過程が必要であった。宗教改革を経たプロテスタントの世界、例えば、スペインからの独立を達成したオランダ(「ネーデルラント連邦共和国」)では、利息を伴う貸付は世俗権力とのみ関わりを持つとする観点から、1658年に公式に「徴利」が容認された。他方、カトリックの世界、例えば、フランスでは、1774年にパリ高等法院が利息を伴う貸付の禁止を再度裁定した後、フランス革命に突入した後の1789年にようやく「徴利」を罪として公式に禁止することを停止し、第一帝政期の1807年に制定された「ナポレオン商法」において法定利率(商業関係6%、ただし、一般市民に関すること5%)が定められて、これを超える利息の徴収が「高利貸し」とされたのである。

このように、スコラの経済論(教会)と現実の商業世界(商人)とのせめぎ合いの中で、「徴利」に関する思考も揺れ動くのであるが、教皇から「徴利禁止令」が公布されたからといって、現実に「徴利」が停止されたことはなく、「徴利の禁止」という原則(建前)を維持しながら、何らかの仮構(虚構)を仕組んでの利息の受払いが実質的に行われていたのである。このことは、当時の商人たちの会計帳簿からも明らかになる。

先に言及したグレゴリウス九世の「徴利禁止令」が公布された13世紀から、さらに14世紀末にかけては、今日われわれが利用している複式簿記(=「イタリア式貸借簿記」)が形成された時期でもある。そして、その誕生を促した大きな要因は、繰り返し述べるが、金銭の貸借などに伴う債権・債務の記録であった。

金銭の貸借取引の記録には、通常、元本の貸付と回収だけでなく、利息の受払いも含まれる。では、当時の商人たちは、「徴利の禁止」という原則に対して、どのような仮構を仕組んで利息の受払いを会計処理(記帳)していたのであろうか。少なくとも当時の会計帳簿には、「神の御名にてア−メン」といった宗教的文言が随所に見出される。したがって、帳簿では、「徴利」に結びつくような「利息」(interesse)といった用語の使用は当然に回避され、例えば、「罰則金」(pena)という用語が代わりに用いられていた。「罰則金」という用語の背景には、「利子罰則説」、つまり、利息を、金銭の貸付に対する報酬とは見ずに、返済の遅延に起因する損害の補償とする仮構的解釈が行われたのである。すなわち、金銭を貸し付けて1か月後に元利まとめて返済を受けるという取引を仮定すれば、契約で貸付日=返済日と定めることにより、返済を受けるまでの1か月間は延滞期間と見なされ、これに対する「罰則金」として利息を受け取るのである。他にも、実質的に「利息」を表す当時の用語として、上記の「罰則金」以外に、「贈与」(dono)や「原価」(chost)などが用いられ、それぞれにそれ相当の仮構的な理由付けがなされたのである。

このように、実質は「利息」であるものを、例えば、仮構的に「罰則金」として記帳するという脱法的な手法は、商人たちの会計実務だけでなく、公会計の領域でも見出される。複式簿記の誕生を画する重要な史料として、1340年のジェノヴァ共和国の財務官(massaria communis)の会計帳簿(元帳)がしばしば挙げられる。そして、この帳簿には、それが公会計に関わるものであるにもかかわらず、財務官や徴税官、行政経費などに関する諸勘定とともに、胡椒や生糸、塩などの売買を記帳した諸勘定(商品名商品勘定)が散見される。例えば、「胡椒勘定」を見れば、そこには、当時のレバント貿易における主要な輸入商品であった胡椒の売買が記録され、最終的に販売損失が計算されていた。そもそもジェノヴァ共和国の公会計を記録した会計帳簿に、なぜ当時の商人たちの会計帳簿に見出されるのと同様な商品の勘定が現れるのか。また、そこで計算された商品の販売損失とはどのような意味を持つものであったのか。結論から言えば、「胡椒勘定」は、通常の商品売買取引を反映したものでなく、ジェノヴァ共和国の政庁が、財政資金調達のために、商品を高い価格で掛け買いし、安い価格で現金販売したことの記録であり、そこで計算されている販売損失は、買掛金を決済するまでの借入期間に対する支払利息に実質的に相当するもの、つまり、資金の借入れ(融資)に対する利息支払額という性格を有していたのである。まさにそれは、当時のカトリックの「徴利禁止令」という原則に対して、ジェノヴァ共和国が行った仮構に基づく脱法的行為の記録であったのである。

会計記録は、無味乾燥な数字の羅列ではなく、われわれは、それを読み解くことにより、過去の時代を生きた人たちや組織のさまざまな思考やそれに基づく行為、そして、それらの変遷を跡づけることができるのである。

Copyright © 2014, 中野常男