ブレークアップバリュー

三品和広

私が初めて経営学に興味を抱いた頃、多角化の模範として鐘紡のペンタゴン経営がもてはやされていた。その鐘紡が、ついに化粧品事業を本体から切り離すという。ここで取り上げるのは、この皮肉な展開を読み解くためのキーワードである。

ブレークアップバリューとは、企業をその構成要素たる主要事業部門に分解したときに得られる価値総額のことを指す。価値は一般に時価総額で計ることが多い。わかりやすく言えば、企業の主要事業部門を分離・独立させて、それぞれを上場した時に実現するであろう時価総額の合計がブレークアップバリューである。

たとえば、鐘紡を化粧品とその他部門に分離するとどうなるのか。資生堂からトイレタリー事業を切り離すとどうなるのか。ソニーから映画事業を切り離すとどうなるのか。コマツから電子部門を切り離すとどうなるのか。信越化学からシリコンウェハー事業を切り離すとどうなるのか。ブレークアップバリューという概念が問いかけるのは、こういった疑問に他ならない。

すぐにわかるように、現行の時価総額をブレークアップバリューが上回るようであれば、企業が多角化した状態を維持することは株主の利益に反することになる。このような事態が持続すると、株式市場が企業の経営陣に対して何らかの不満を表明していると解釈する他ない。

実際には、ブレークアップバリューが客観的に計測されることはない。そういう仮想的な概念が登場する背景には、企業の無用な多角化に対する冷徹な批判がある。この手の批判は、特に米国においては無視できない勢力を誇っている。

企業はよく成長を持続するために多角化に手を染めるが、これは経営陣にとって魅力的なオプションである。新規事業に取り組めば、社員のエネルギーがそこに向かうため、不平や不満を抑え込むのが容易になるからである。いかにも経営をしているというイメージも対外的に作りやすい。

ところが株主から見ると、多角化はメリットのわかりにくい企業戦略となる。ブレークアップさえ実現すれば、企業が事業のポートフォリオを組むことに比べるとはるかに容易に、株主は株のポートフォリオを組むことによって同じ効果を実現できるからである。それどころか、個別保有が許されれば、株主にとっては企業が実現する事業ポートフォリオに縛られることなく、自由に株式の保有比率を変えることもできるのである。

このため、高度に多角化を遂げた複合企業には、ブレークアップバリューが時価総額を上回るのではないかという疑念が絶えないのである。特に現行の株価に不満を持つ株主は、ブレークアップを声高に主張することが多い。現実に、1980年代を通して有効な敵対的買収対抗策が講じられるまで、企業を買収したらただちにこれをブレークアップして、各事業体の株式を別々に公開して投下資金と利益を回収するというビジネスが米国では流行した。いわゆる乗っ取り屋である。それによって巨万の富を成す人が相次いだことは記憶に新しい。

市場による経営陣の牽制を望ましいと見るか否かは別として、ブレークアップバリューを上回る株価を維持することは経営者に課せられた最低限の責務と見なされるようになったことは、敵対的買収ブームがもたらした成果と言ってよい。それ以前は、経営陣による無謀な多角化を止める手段は実質的に存在しなかった。企業が事業のポートフォリオを組むときには、単にそうすることが内部的に望ましいのかどうかという次元を越えて、個別事業株の金融ポートフォリオを組んで得られるであろう価値を超える価値がそこに本当に発生するのかどうかを厳しくチェックする必要があることを忘れてはならない。

一般に、事業間に関連のない多角化は、ブレークアップの候補となりやすい。米国のコングロマリットは、一世を風靡したものの、その多くは分解されるに至っている。日本にも、事業のルーツをたどると関連性を認めることができるものの、外から見ると関連性のない事業を抱える企業は数多く存在する。鐘紡はその良い例となってしまったが、そういうところは潜在的なブレークアップの予備軍と知るべきであろう。米国では、ジャック・ウェルチ時代のGEでさえブレークアップの要求を突きつけられたのである。

ブレークアップが問題とならないようにするためには、事業のポートフォリオに対して何らかの経済性の裏付けが必要となる。事業間で共有され、多重利用される「資産」が存在することは、そうした裏付けの最たるものであろう。裏付けさえあれば、別に「総合」という業態が定義的にまずいわけではない。GEのケースでは、ジャック・ウェルチの経営手法がそういう資産として株式市場に認められることになったと言ってよい。鐘紡のケースは、広義の「ブランド」や「技術」がそういう資産として機能しなかったことを物語っている。何がそういう資産たり得るのかは、今日でも戦略論の大きなテーマの一つである。

Copyright © 2004, 三品和広

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