「イノベーションのジレンマ」から学ぶ

髙嶋 克義

研究や教育でイノベーションを語るときに、しばしば言及される本として、クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』(伊豆原弓 訳、翔泳社)がある。書店サイトの評価においては、こうした名著と呼ばれる本にも、著しく低い評価を見つけることができる。例えば、あたり前のことしか書いてないといったコメントである。これは評者の学習能力や読解力の低さを表すものとして見做されるが、他方で、こうした名著から学ぶことの難しさを示唆しているとも言えるだろう。また、本書のように多くの研究者が参照する文献ほど、そこから何をどう学ぶかが重要になってくる。本コラムに引き寄せて述べるなら、オススメ図書と同時に、オススメの読み方を知ることも大事ということになる。

さて、この『イノベーションのジレンマ』の主張は、優良企業ほど破壊的イノベーションにおいて失敗するということになる。この主張自体は単純であり、それを戒めや格言のように用いたり、周囲での別の失敗事例を見つけて、それも「イノベーションのジレンマ」の例であると言っても、この本を学べたことにはならない。また、この主張に合わない事例や本書における説明の不十分な箇所を見つけて、「イノベーションのジレンマ」を否定することも、あまり有効な学び方とは思われない。むしろ、その後に本書に言及する多くの研究の展開があることを無視した粗雑な学び方になっている可能性がある。

では、本書のオススメの読み方として、どのような読み方が考えられるだろうか。いろいろな読み方が可能だとは思うが、その一つとして、どのような論理が展開されているかを注意深く辿り、その延長線上にどのような理論的課題があるのかを推測することがあるだろう。

例えば、本書では、優良企業ほど破壊的イノベーションができない一つの理由として、誰が顧客になるかも分からない破壊的技術では、市場の潜在的な需要に関する情報が入手できないために、管理者層が経営資源の配分の意思決定を行うことができずに、プロジェクト間での経営資源の奪い合いに敗れてしまうことを挙げている。それに対して新規参入業者は、既存の顧客やチャネルから相手にされないために、新規の潜在的な需要を開拓し、ニッチ市場であっても積極的に対応するとしている。

実は、流通論ではこの本が出版される何十年も前に、小売革新における同様の仮説として「小売の輪」という古典的な考え方が提示されている。しかし、「イノベーションのジレンマ」が「小売の輪」の二番煎じであるという批判は正しくない。本書では、イノベーションと組織との関係やイノベーションに影響するバリューネットワークに関する問題意識が提示されており、そのことが、この単純化された仮説よりも重要な意味を持っているからである。

イノベーションを組織やバリューネットワークの視点で考えるというのは、イノベーションについて、どのような開発者や管理者が何を手がかりとして、どのような意思決定を行うのか、さらに、その意思決定に対して、顧客、チャネル、サプライヤー、投資家がどのように関与するのかを捉えることである。そして、その影響や関与の様式からイノベーションにもある特定のパターンやダイナミズムが生成する可能性があるということになる。

ただし、現実のイノベーションと組織やバリューネットワークとの関係は、本書が想定するものよりも複雑である。とくに近年のデジタル・ネットワーク化は、この組織やバリューネットワークの問題をより複雑にしている。

とは言え、それで本書を批判しても知的な生産性は高まらない。むしろ、本書が提示した視点や枠組みを手がかりとして、環境変化がイノベーションの性格をどのように変えているのかを論理的に考えることが重要になる。

例えば、デジタル化が進むことによって、デジタル・プラットフォームを巡る競争が激しさを増している。この状況においてプラットフォームの構築をめざす企業にとっては、その旺盛な資金需要から投資家の支持が重要となるが、投資家は顧客やチャネル、サプライヤーよりも破壊的技術への高い期待や関心を示す傾向がある。その意味で、この状況では「イノベーションのジレンマ」の影響を受けにくいという推論も成り立つ。

また、プラットフォーム上でのオープン・イノベーションを通じて、多くの参入企業によるイノベーションを吸引できることを考えれば、プラットフォームを構築する企業にとっての破壊的技術は、プラットフォームに参加する企業によってもたらされることにもなる。とすれば、破壊的技術の発生は、必ずしもプラットフォームを構築する企業の競争的地位を脅かす要因ではないとも言える。

つまり、近年における「イノベーションのジレンマ」の問題は、本書が出版された時期よりも、一層複雑な問題を呈していると考えることができる。そして、そのような問題を論理的に考える起点として、本書の枠組みを理解することは重要な意味を持つと言えるだろう。

これは「行間を読む」と表現されることでもあるが、名著と呼ばれる文献ほど、行間を読むことで、視角の広がりや論理的な思考能力が鍛えられ、そこから自分の考え方を整理することができる。ただし、それは決して難しいことではない。「これは使えない」と思考を止めてしまうことではなく、また、本の主張に沿った現象しか見ないようにすることでもない。その中間に適切な読み方があり、その中間のレンジは想像以上に広いからである。

Copyright © 2018, 髙嶋 克義

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