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研究スタッフが選ぶ、オススメ図書

会計学分野 教授 中野常男

 

塩野七生『海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年―(1〜6)』
 (新潮社(新潮文庫)、2009年)

イタリア半島とその周辺には古代エトルリア人の都市国家以来、「ローマ帝国」を含め幾多の国家が興亡している。現在の「イタリア」(イタリア王国→イタリア共和国)の成立は1861年のことであるが、その際にも「イタリアは出来たが、さあイタリア人を作らねばならない。」と言われたように、「西ローマ帝国」の滅亡後、中世から近代にかけて、イタリア半島とその周辺には、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ジェノヴァ、ナポリ、シチリア、そして、ローマ教皇領などを含め、大小さまざまな都市国家や僭主国家、コムーネ(共同体)などが分立・割拠し、そのことに起因する政治・経済・文化等における地域差から、容易に統一国家たり得なかった。フランス革命期とその後のフランスやオーストリアの統治に対する抵抗が国家の統一と独立を求める「リソルジメント(イタリア統一運動)」となって発展し、ようやく1861年3月にサルデーニャ王国のビットリオ・エマヌエレ二世を国王とする「イタリア王国」の成立が宣言される。
もっともこのときヴェネツィアとローマは未だ統合されず、ヴェネツィアがイタリア王国に組み込まれるのは1866年のプロイセン・オーストリア戦争(普墺戦争)の後、また、ローマも1870年のプロイセン・フランス戦争(普仏戦争)に敗退したフランスがローマから撤退した後のことであり、1871年に至りローマが統一イタリアの首都となり、ほぼ今日の「イタリア」の版図が形成される。

塩野氏が描く「ヴェネツィア」とは、上記の大小さまざまな国家が分立・割拠した時代の「ヴェネツィア共和国」の歴史であり、西ローマ帝国末期の5世紀半ばにアドリア海最奥の干潟(ラグーナ)の上に建国されて以来、1797年にナポレオンが率いるフランス軍の侵攻により共和政が廃されるまでの一千年以上にも及ぶ、ヴェネツィア共和国の興亡の歴史である。
本書の正編(『海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年―』中央公論社、1980年(新潮文庫版『海の都の物語』1〜3、2009年))では、群雄割拠する中で海洋貿易国家として国力が上昇・興隆に向かう「明」の時代が、また、続編(『続 海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年―』中央公論社、1981年(新潮文庫版『海の都の物語』4〜6、2009年)では、フランスやスペイン、オスマン・トルコなどからの挑戦を受けその覇権が浸食されて国力が次第に下降・衰退に向かう「暗」の時代が、客観的な語り口で、大著でありながら一気呵成に叙述されている。

本書のハードカバー版が刊行された1980〜81年のわが国は、“Japan as Number One”(Ezra F. Vogel) の時代を謳歌しており、当時の読者たちは、本書に描かれた「ヴェネツィア共和国」の興亡の歴史を、もっぱらヴェトナム戦争後の「アメリカ合衆国」のそれに重ね合わせることが多かった。しかし、時は移り、本書が新潮文庫版として刊行された現在では、そこに叙述されたヴェネツィア共和国の興亡の歴史は、アメリカ合衆国ではなく、まさしく、わが国、特に第二次世界大戦後の日本のそれに照らし合わされて読まれることが多いようである。

ヴェネツィアは、ジェノヴァやフィレンツェ、ミラノといったイタリア半島にあるライバル諸国との対立や、フランス、オーストリア、スペイン、トルコといった他国からの侵入・侵略の脅威に絶えず曝されながらも、フィレンツェのように共和制から君主政への政体の変化を見ることなく、また、ミラノのように外国の支配下に置かれることもなく、少なくとも建国から1797年に至るまで、共和国国会で選出される元首(ドージェ)を中心とする共和政体を守りつつ、自然資源も人的資源も「持たざる国」であったにもかかわらず、「ヴェネツィア株式会社」として海洋貿易国家の確乎たる地歩を固め、「地中海の女王」(または「アドリア海の女王」)としてその覇権を長く保持した。ヴェネツィア共和国の国家統治の知恵から、また、外交・軍事・経済などの戦略から、将来の不透明感・閉塞感に混迷するわれわれは「人間・組織・国家」について多くを学ぶことができるように思われる。

なお、ほぼ同時代のヴェネツィア共和国の歴史を取り上げたアカデミックな研究書として、ウィリアム・H・マクニール(清水廣一郎訳)『ヴェネツィア―東西ヨーロッパのかなめ1081-1797―』(岩波現代選書)岩波書店、1979年[2004年に岩波書店から単行本として再刊](William H. McNeil、 Venice: The Hinge of Europe 1081-1797、 Chicago)を挙げることができる。マクニール氏の著書と塩野氏の『海の都の物語』とを併読されるのも、同じ題材を扱った「歴史小説」と「歴史書」とのスタンスの違いが明確に理解できるという点で有益なものとなろう。

(Copyright © , 2011, 中野常男)