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研究スタッフが選ぶ、オススメ図書

堀越二郎、『零戦 その誕生と栄光の記録』、角川文庫、2012年。
柳田邦男、『零式戦闘機』、文春文庫、1980年。
碇義朗、『戦闘機「隼」−昭和の名機その栄光と悲劇』、光人社NF文庫、2003年。
碇義朗、『紫電改入門‐最強戦闘機徹底研究』、光人社NF文庫、2011年。

村上英樹

経営学研究科で教員をしております村上と申します。このたび何かおすすめの図書を推薦せよと依頼があり、最近他の先生方がどのようなことを書かれているのかなと思い見ておりました。すると、どうも小生には不適な役回りだなと思い、そうしているうちにこの原稿の締め切りの期日が来てしまいました。小職は、例えば経営学系の授業のために直接役に立つ本など普段は全く読まず、もっぱら外国の論文をダウンロードして読んだり、外国の雑誌から査読を頼まれて見知らぬ人様の研究を裁いたりしているうちにあっという間に時間が過ぎてしまうというような生活をしております。ただし、本を1冊も読んでいない、というわけではなくて、休日はいろいろ歴史物の本やらカメラ・写真術の本、あるいは哲学や思想関係の本とかを読んでおります。その歴史に関連するもので、今回は堀越二郎さんの『零戦 その誕生と栄光の記録』、角川文庫、2012年と、それと合わせ読むとなお面白いかなと思う本を何冊かまとめて紹介させていただきます。ちょうど宮崎駿監督の『風立ちぬ』が人気を博しているようですので、このタイミングで紹介させていただくのが良いかと思いました。あくまで、拙稿は「風立ちぬ」という「刺身」の「つま」本といいますか、ガイド本のように書かせていただきます。なお交通系の教員は小職も含めかなりマニアックな知識を持っており、なかなかそれを語る機会もなくもんもんとしておりますのでこの場をお借りして発散させていただきます。

まず零戦につきましては、航空事故などの研究でも著作のあるノンフィクション作家の柳田邦男氏が書かれた『零式戦闘機』、文春文庫、1980年が基本でしょう。これがちょっとインテリの年配飛行機マニアの間では有名でした。当時の技術では実現不可能な性能要求を海軍航空本部から受け、堀越氏をはじめとする三菱内燃(現、重工)のスタッフが苦闘する開発過程が描かれています。海軍からの要求はいろいろなトレードオフの組み合わせでした。増そう(外部着脱式、戦闘時落下廃棄)燃料満タンで滑走距離100mかそれより短い距離で航空母艦から発艦しなければいけないこと(もちろんその時航空母艦は第4戦速=28ノット=時速52キロ/h以上で風上に向かって航走し、発艦を容易にする)、高速であること、空戦性能が抜群に良いこと、並びに上昇力に優れていることでした。これらを満たすには極限までの軽量化をはかれば何とかなります。しかし零戦に要求されたのは重武装、及び長大な航続距離、燃料をより多く搭載しなければならなかったということでした。これらは重量増加要因で、このトレードオフを解消するには何かを犠牲にしなければなりませんでした。それはすなわち「軽量構造」と「無防御」でした。かつて英国海軍では「攻撃こそ最大の防御」といわれ、「巡洋戦艦」なる艦種が開発されました(注:巡洋戦艦とは、砲力では戦艦と同等、しかし防御が相対的に弱いので、戦艦と会敵した際には巡洋艦並みの高速を利用して退避する。一方巡洋艦に対しては、防御力は等しいものの圧倒的に優勢な砲力で制圧する。要するに強い人から逃げ、弱い人に威張り散らすという日常よくある戦法です)。明治時代の日英同盟の影響からか、当時の帝国海軍にもその「攻撃こそ最大の防御」の考え方がある程度受容されていたのでしょう。
さらに、「どうせ被弾すれば潔く戦死する」という武士道的潔さ(注:重量増加というので脱出用落下傘も持たなかった人もいた)が戦闘機パイロット及びその指揮官たちに受容されたのは確かで、結局零戦はパイロットを守るいかなる装備も持たず、多くのパイロットを戦死させてしまうこととなりました。後に神風(しんぷう)特別攻撃隊の主力となってしまった零戦に対して堀越氏は自責の念を持たれたということですが、実はそれよりも多くの方々が空戦で助かる命を捨てざるを得なかったのも事実です。もちろんこれはあくまで海軍の要求と当時の海軍の風潮ゆえ致し方ないことかもしれません。またあまりの軽量設計(要するに強度上大事な背骨や腕に当たる部品にまで穴まであけて重量軽減した)のために昭和15年の正式採用の翌年に強度不足から空中分解する事故をおこしています(パイロットの下川万兵衛大尉(海軍ではだいい、と読む)は殉職)。

実はこの零戦の堀越氏とよく対比されるのが、中島飛行機(現、富士重工業)の設計者であった糸川英夫氏です。糸川氏は陸軍の一式戦闘機「隼」の設計者で、後々宇宙開発にも携わり、さらに受験産業にまで首を突っ込まれた方です。隼は性能全般的に零戦に近いものがありましたが、艦上戦闘機よりも設計上の要求が少ない陸上戦闘機でありながら最大速度、航続距離、および武装の点で零戦に劣っておりました。その結果、「加藤建夫中佐の隼戦闘隊(独立第64飛行戦隊)」の活躍で有名な以外は、最近までは、その存在は零戦の陰に隠れがちでした。しかし、隼は上記のような点では零戦に劣る感が否めない一方で、飛行機として当然のこと、つまり最小限人命を守る防御力を備えていました。敗戦に至る過程で隼も特別攻撃隊機として使用されますが、特筆すべきは日本の敗戦後、零戦とは異なり隼は東南アジア諸国の独立運動のアジア側の兵器として重宝されました。受け入れ市場はローカルではありますが、基本を疎かにし一発大ヒットでウケた零戦よりは、あくまでスタンダードに固執し、堅実性を持った隼が、結局よりグローバルスタンダードとして受け入れられたということかもしれません。このあたり、我々の研究と似たり寄ったりです。隼に関しましては碇義朗、『戦闘機「隼」−昭和の名機その栄光と悲劇』、光人社NF文庫、2003年を推薦いたします。

その他、もう一機零戦と対比されるのは、後に海軍の主力戦闘機となった(なりかけた?)「紫電改」(正式には紫電21型、またはそれ以降の型)という戦闘機です。これは元々飛行場の無い島嶼部の局地防衛のための水上戦闘機として川西航空機(現、新明和工業)で設計開発された「強風」の末裔です。この紫電改は、ある意味零戦の「真逆」を行った飛行機でした。設計者の菊池静男技師は大馬力、自動空戦フラップ(機体の旋回に合わせて自動的に飛行機のフラップ(風量調節の小羽)が最適な角度に動作する世界に先駆けた技術でした)による空戦性能の維持、零戦の倍近い重武装、零戦の軽量化のための穴を「バカ孔」と呼び堅牢な機体を全面的に再設計しました。その開発過程は零戦を滅ぼすこととなった米国のグラマンF6F戦闘機と酷似した、いわば完全なアンチ零戦魂によるものでした。敵側からとともに、戦時の国内からもこのような同様の開発の流れがあったことは興味深いところです。

零戦がもたらしたサイドエフェクトは、当初の余りにも大きな戦果により後継機開発が遅れたこと、高度ながら不完全であったがゆえに日米両国において次なる技術革新の大きな踏み台になったことでしょうか。なお堀越氏の名誉のために一言加えておきますと、彼は零戦の流れを継承し、紫電改・グラマンF6Fをも凌駕する「烈風11型」という優秀な戦闘機を終戦時に完成させ、テスト飛行で十分すぎる成果を出していました。終わることのない技術者魂を見るような気がします。なお紫電改に関しては前記の碇義朗氏の、『紫電改入門‐最強戦闘機徹底研究』、光人社NF文庫、2011年があります。

追記:日本の飛行機は、例えば戦後の国産旅客機のYS‐11型というように、最初の型は11型から始まります。十の位の数字は機体改装回数、一の位はエンジン改装回数です。従って零戦52型は機体改装5回、エンジン改装2回で、これは互いに独立した数字なので「ごーにーがた」と読みます。YS−11も「わいえすいちいち」が正解です。ご参考まで。

Copyright © 2013, 村上英樹