自助論(セルフ・ヘルプ)

サムエル・スマイルズ著/竹内均訳『自助論』三笠書房, 2002年.
(Smiles, S., “Self-Help, with illustrations of Character and Conduct”, 1858.)

森 直哉

このたび「オススメ図書」の原稿執筆を依頼されて、いったい何を書けばよいのか迷ったまま納期を迎えてしまったというのが正直なところである。通常ならば自分自身の研究テーマに近い専門書を推薦するところだと思われるが、ここしばらく他の仕事に忙殺されてしまって、私自身がそれほど読書をしていないという状況である。

社会人大学教育に関心を持つ方々を想定読者層にせよとの依頼であったため、今回は専門分野にこだわることなく、私自身が最も感銘を受けた図書をテーマに選んでみることにした。サムエル・スマイルズの『自助論』である。序文の「天は自ら助くる者を助く」という言葉はあまりにも有名である。著者はイギリスの作家、医者であり、わが国では明治4年(1871年)に中村正直(江戸幕府の留学生)によって『西国立志編』として翻訳されたのが最初である。そこで紹介されている思想は維新後の近代的な日本の形成にかなり大きな影響を与えたと評されている。明治期の終わりまでに100万部以上を売り上げたというので、当時の知識層をターゲットにしたベストセラーだということがわかる。

私見では大学入学時ぐらいに是非とも読んでおきたい本であるが、平成の時代にもなると、案外存在さえ知られていないようであり、非常にもったいない話である。この拙文を読んでくださっている方々の中でも、もしかすると存在を初めて知った、もしくは、日本史の教科書で存在ぐらいは知っていたけれども、実際に読んでみたことはないという方々が大半であるのかもしれない。あえて本書を取り上げてみる値打ちはそれなりにあるのかもしれない。

大学入学が決まったばかりの私が、たまたま書店で手に取った本が竹内均(東京大学名誉教授)の『勉強術・仕事術 私の方法―もっと手ごたえのある人生を創る』だった。もしかするとこの本ではなかったかもしれないが、竹内氏によって強く推奨されていたのがスマイルズの『自助論』であり、彼自身がその現代語訳をおこなっている。NHKの教育番組で中高生向けに理科を講義していた黄色い眼鏡の物理学者と言えば、私ぐらいの世代(40代半ば)で知らない者はいないだろう。この古風でユーモラスな学者が、その後の私に多大な影響を及ぼしたのかと思うと、非常に感慨深いものがある。

私にとって『自助論』は何度目かの再読である。それなりに歳を重ねて読み直すと、新鮮な発見もある一方で、やはりそうだったのかと強く再認識する箇所もある。ある意味で、今回の作業はいろいろ経験してきた事に対する「答え合わせ」の役割を果たしているように思われる。以下では、3点に絞って、私自身が面白いと感じた点を記しておくことにしたい。

第一に、私が『自助論』に対して好意的な印象を持つのは、努力することの重要性を繰り返し述べていながらも、安易に最高の結果を保証するような欺瞞に陥っていないところである。しばしば「努力すれば必ず報われる」と世間では言われるけれども、これは間違った考え方だと思われる。ほとんど私の口癖のようなものであるが、「努力しても報われるとはかぎらない。しかし、報われる者は必ず努力している」というのが正しい考え方だろう。努力することは報われることの必要条件ではあるが、十分条件であるはずがない。たとえば、本書には「究極の目標地点には達しなくても、向上の努力は必ずそれにふさわしい恩恵をもたらす」(p. 267)と記されているが、「必ず」という表現は「ふさわしい恩恵」に対してかかっている事に留意すべきだろう。

もっとも、「嘘も方便」という言葉もあるとおり、「必ず報われる」という慰めは動機づけとして有効な場合もあるだろう。とはいうものの、王貞治(元プロ野球選手)のように、「報われていないとすれば努力が足りない」と断定するに至っては、もはや方便を通り越して、かなり残酷な見解であるように危惧される。たとえば、金メダルを獲れなかった浅田真央(フィギュアスケート選手)に対して「努力が足りない」という評価は適切だろうか。頂点を極めるという報われ方はたった一人にしか許されないのである。実際のところ、努力以外の要素も結果に重大な影響を及ぼすことだろう。理不尽に直面した際、それでも明るさを失わないことが求められるのであり、『自助論』はそのような明るいエピソードを数多く提供しているのだと私は解釈している。

第二に、私なりの表現を使えば、『自助論』は、たとえ報われないかもしれない努力であったとしても、楽しく真面目に取り組むことの意義を切々と説いている書物である。たとえば「いちばん待ち望まれる果実ほど実を結ぶのはいちばん遅い」(p. 38)と述べたうえで、「根気強く待つ間も、快活さを失ってはならない」(p. 38)と記している。さらに、「最高の成果を求めようと努力すれば、誰でも最初の出発点よりはるかに前進できる」(p. 267)という、極めて現実的なアドバイスを送っている。数多くの偉人が紹介され、並々ならぬ苦労が綴られているが、どのエピソードであっても、悲壮感よりも楽しさや真面目ぶりが前面に出ているように見受けられる。

第三に、「日々のありふれた仕事をきちんと果たしていくことで、人間はより高い能力を身につける」(p. 50)という箇所が興味深い。大きな話ばかりを語る人は、しばしば小さな仕事を軽蔑し、それでいてまともに処理さえできないものである。業務(オペレーション)を実行できない者に、戦略(ストラテジー)を語れるはずがないだろうとも思われる。実を言うと、本当に仕事ができる者は、細かいことまで何でもできるし、何でもするのである。自分自身の能力を棚に上げ、自戒をこめながら拙文をつづっているところである。

残念ながら、訳者の竹内均(1920-2004)もすでに亡くなってしまった。著者のスマイルズ(1812-1904)もはるかに昔の人物である。しかし、本書を読んでいても古さをまったく感じない。古今東西を問わず、良き人生を歩むための術というのは普遍的なのだろう。訳者解説(p. 295)で記されているように、「自分の子供や自助の心をもった青年を選んで、彼らを助けてほしい」という要望に応えたいと思っている。神戸大学に着任する以前の経験になるが、本書を指導下の学生に読ませてレポートまで書かせたのは、亡くなった2人に対する私なりのリスペクト(敬意)と言えるのかもしれない。

本書を読んで何の感銘も受けない人はほとんどいないと期待したいので、この機会に推薦しておきたい。明治初期、むさぼるように本書を読みふけった血気盛んな若者たちに思いを寄せて、日々の忙しさに心を失いがちな我が身を叱咤激励しつつ(まさに自分を助けるセルフ・ヘルプ)、平成のひとときを過ごしてみるのも悪くないと思われる。

Copyright © 2016, 森 直哉

前の記事

実証分析のススメ

次の記事

市場を操る