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研究スタッフが選ぶ、オススメ図書
企業政府関係講座 教授  水谷文俊
 

平成 14 年度から、世界的な研究水準を維持する研究教育拠点を育成していくため、 21 世紀 COE プログラムがスタートしました。これは、研究拠点大学に研究資金を重点的配分することで、世界水準を維持しようとする国の政策です。そして今年度は、社会科学分野で、われわれの経営学研究科も無事その1つに選ばれました。今後ますます大学間の競争は厳しくなり、より重要な研究成果を生み出すことで社会に貢献することが求められるようになってくるでしょう。

さて、今回は大学の中で重要な機能である研究について取りあげ、その研究の質を左右する独創性について4人の生き方や考え方を通してみてみることにします。取りあげた人物の専門分野はそれぞれ数学、物理学、心理学の3つです。

まずはじめに岡潔という日本が生んだ世界的数学者を取りあげたいと思います。この偉大な数学者の書いたエッセイは多くの人々に影響を与えてきましたし、そのユニークな言動は多くの人々の興味をかき立ててきました。部外者からみる数学の世界というのは、何か論理的な思考が重要視されるみたいですが、広中平祐や小平邦彦ら世界的な数学者の書くエッセイを読むと、それとはどうも異なっているようです。岡潔は創造性にとって大事な点は「情緒」にあると言っております。この数学者の語る言葉には、普通の人が考えないようなことが多く、本当に考えさせられると思います。

たとえば、数学者の仕事というのはお百姓さんと同じだそうです。アイデアの種をまけば、後はそれが自然と育っていくので、数学者のすることはよい種を選び、それが間違いなく育つように見守ることにある、というのです。あれこれと自分で手を入れて創作したり、形をつけるような職人さんの仕事とは異なっているのだそうです。

また、発見の型については西洋流と東洋流の2つがあって、西洋は主にインスピレーションによる発見が中心であると言っています。たとえば、ある問題を考え続けながら散歩をしているうち、突然風景が変わったときに問題が解けてしまうようなものが、インスピレーション型の発見です。このインスピレーション型の発見には、発見の前の緊張とそれに続く一種のゆるみの状態が必要なのです。それに対して、東洋のそれは情操型の発見です。情操型は、わかるという境地を高めていけば、それは自然とわかるものである。つまり、情操が深まれば境地も進んでいくということです。それは宗教によって境地が進んだ結果、ものごとが非常に見やすくなったという感じに相通じるものがあります。欧米の数学者は年をとると良い研究はできないと言いますが、岡潔によれば、年をとればとるほど情操が深まりより高い境地に達するので、研究ができないことはないのです。古来より日本文化は情操を中心に発達してきたので、数学を研究するには日本文化を深めることが重要であると言っています。

我々のような凡人には、そのような創造性あふれた仕事ができるとはとても思えませんが、世界的な業績をあげた岡潔の達した境地に耳を傾け、そこから何かを学ぶことの価値は十分にあると思います。

岡潔『岡潔:日本のこころ』日本図書センター、1997年。

(寸評)本来ならば、岡潔『日本のこころ』講談社、1971年を挙げたかったのですが、残念ながら絶版になっているので、本書を挙げることになりました。しかし、この本もオリジナル版を編集したものですから、そのエッセンスは全く変わっていません。この世界的な数学者の語る言葉からは、日本の鄙びた田園の情景が浮かんでくるような気がします。著者の話には、脳の話も色々出てきますので、興味のある人は、時実利彦『脳の話』(岩波新書)を読むとよいでしょう。

 

次にあげるのは、興味のあることをしつづけた人物についてです。おもしろいと感じることをすることは、何かを成し遂げる上で重要なことです。たとえそれが他の人の興味を引かなくても、好きなことをずっとやり通すことができるならば、それほど幸せなことはありません。ましてやその成果が他の人から評価されることになれば、それほど幸運なことはないでしょう。ノーベル賞のような、その時代の最先端の研究に対して贈られる賞の受賞者の中にも、先端の研究に振り回されず自分の興味の対象のみを追いかけ、それに一生を捧げた人がいます。それが、1907年にノーベル物理学賞を受賞したマイケルソンです。

マイケルソンは、光の速度をいかに正確に測定するかに、自分の生涯を費やしました。彼が光の速度の測定という課題に取り組みはじめた時には、その課題はそれほど真新しいものではありませんでした。すでに別の研究者が光の速度を測定するための方法を考案し、実測値を得ていたからです。後に残されていた課題は、光の速度を正確に測定するという地味な研究だけでした。名声を得たいという野心を持ち、しかも才能あふれた研究者ならば、自分の才能を広く世に知らしめるような課題ではありませんから、誰も見向きもしなかったでしょう。しかし、マイケルソンはこの労多くして名声を得るものが少ない課題に、以後50年にもわたって取り組んだのです。彼が測定した光速度や波長の値は、現在、最も信頼しうる値であり、アインシュタインの理論を根拠づけるものとなったのです。

マイケルソンの晩年に、アインシュタインがなぜ光速度の測定に集中してきたのかと尋ねたとき、彼は「それがあまりにおもしろかったから」と答えたそうです。以下に紹介する本に、マイケルソンの功績と生涯が取り上げられています。

科学朝日(編)『ノーベル賞の光と陰』、朝日新聞社、1981年。

(寸評)ノーベル化学賞・物理学賞・医学生理学賞を受賞した20組の科学者の栄光とその裏にある悲惨なドラマを記述したものです。この中で、私はこのマイケルソンの職人的生き方が一番印象に残っています。
 

もし、今所有するもの全て(名前さえも!)が取りあげられ、家族がばらばらに引き裂かれ、そしていつ終わるともわからない期間閉じこめられ、そして仮にそこから出られるとすればそれは死を意味する、というような悲惨な状態に置かれたとしたら、あなたはどうするでしょうか?以下で紹介する本は、著者のアウシュビッツ収容所での体験をもとに書かれたものです。著者のフランクルは、この収容所での体験をもとに「ロゴセラピー」という心理療法をうち立てました。

彼は収容所のような悲惨な状況の中でも、生きることに絶望していない人がたくさんいることを見いだしました。そこで彼が得たことは、「人間というのは、生きる意味は何なのかと、人生そのものに対して問いを発するのではなく、様々な困難を通して人生そのものが投げかける問いに、その人自らが答えていかなければならない存在である」、というものでした。

収容所で希望を失い、人生には何も期待できないと自殺を決意しかけた囚人は、フランクルの「このような悲惨な状況では、人生には何も期待できないというのも無理はない。しかし、あなたの人生には、あなたを必要とする何か、あなたを必要とする誰かは必ずいて、その何かや誰かはあなたに発見されるのを待っている」という言葉を聞いて自殺を思いとどまったそうです。

このような悲惨な極限状態の中でも、このような創造的な仕事を成し遂げたフランクルに対して本当に尊敬の念を感じます。本当に悲惨な収容所生活の記述ですが、読み終わった後には、清々しい感動を覚えるほどです。

Victor Frankl 『 Man's Search for Meaning 』 Washington Square Press,1959

(寸評)フロイト、アドラーと並んでウィーン第三学派の創始者と言われ、本書は20世紀で最も影響力の大きい書物の一つと言われています。アメリカ留学中の博士課程の学生の頃に本書を読みましたが、日本語では多分『夜と霧』(みすず書房)がそれにあたるかもしれません。ビジネス上の困難に直面した時にも勇気づけられる書籍だと思います。
 

最後に紹介するのは、数学者の伝記です。数学者の伝記はおもしろいものが多いですが、以下に紹介する本も例にもれずおもしろい本です。この本は著者が興味をいだいていた3人の数学者のゆかりの土地を訪ねて、その偉大な業績が生まれた背景や理由を自分なりに理解しようとしたものです。この中で取りあげられている3人とは、ニュートン、ハミルトン、そしてラマヌジャンです。その中で、3人目のインド出身のラマヌジャンの話は非常におもしろかったのですが、このラマヌジャンという名前は本書を読むまで知りませんでした。

このラマヌジャンという人は、正規の大学教育を受けずに、ほとんど独学で数学を学び、高校を卒業した後、マドラス港湾局の経理部員を勤めながら数学研究を続けたそうです。そして、独学で研究して発見したおびただしい数の定理や公式を自分のノートに書き留めたといいます。そのノートを見た友人が、ケンブリッジ大学の権威にその真偽と価値を確かめてもらうことを薦め、いろいろな障害があったものの、やがてその才能が認められて幸運にもケンブリッジ大学に招聘されることになりました。ケンブリッジ大学では、招聘した研究者と共同研究を開始し、驚いたことにそこでラマヌジャンは毎朝半ダースほどの定理を持って研究室に現れたそうです。まさに新しい発見が湯水のごとくこんこんと湧きあげてくるみたいです。しかし、ラマヌジャンは、正規の数学教育を受けていないため、証明の必要性やその概念さえわかっていなかったそうです。そこで、ラマヌジャンの発見した定理や公式をケンブリッジ大学の教授が厳密な証明を与え、論文にするという形で研究が進められました。勿論、数学の素人である私には、このラマヌジャンの学問的な価値はわかりませんが数学者である著者によれば、ラマヌジャンが現れなければ100年もの間、発見されずに留めおかれたであろうほどの業績だそうです。まさに神懸かり的な天才です。実際、信仰心の篤いラマヌジャンは、夢の中にヒンズーの神が現れて新定理を告げたのだ、と言っています。ラマヌジャンの発見の過程は本書には記述されていませんが、先に述べた岡潔に相通じるものがあるような気がします。

このラマヌジャンのすごさには驚かされますが、それよりもこのような名もない一介の経理係員がよく歴史の中に埋もれずに発掘されたものだということに驚きを感じます。これも変人を尊重するイギリスの風土にあるのかもしれません。古い制度と慣習に支配された国でありながら、なぜこれだけ数多くの革新的な科学者を生み出していく土壌があるのだろうかとその不思議さを感じました。ひるがえって、日本にはこういった大きな度量が果たしてあるのだろうかと考えさせられます。

 

藤原正彦『心は孤独な数学者』新潮社、1997年。

(寸評)とにかく読み物としておもしろいです。世の中にはとんでもない能力を持った人もいるんだと思うと本当にびっくりしてしまいますし、そのような能力を見抜く者がいないと、せっかくの能力も陽の目をみずに消えていってしまいます。

最近、大学にも効率性が望まれていますが、本当の研究というのは千のうち一つぐらいがかろうじてものになり、あとの999はうまくいかずに消えていくものではないでしょうか。そういった独創的な研究が世にでるには、その研究者の才能や性格は勿論のこと、運や時代背景や文化などの要因にも左右されると思います。優れた研究の周りには陽の目をみず消えていった多くの研究があるでしょうし、それこそ人生を“無駄”にした研究者がいるのでしょう。もし、大学というのはこういった独創的な研究に挑戦することが許される場所であるとするならば、効率性よりもそういった研究をすることを許す国民の度量も大切だと思います。そして大学は、本当の研究を行う人物を見抜く眼力を養うことが本当に重要になってくると思います。日本にいくつかはそういった大学を残したいものだと思いますが、皆さんはどう思われますか?

( Copyright © , 2004 水谷文俊)