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現代「中国」とCU

國部克彦

GDPの大きさで世界第二位となった中国は、まぎれもない世界の超大国である。しかし、その政治および経済体制は20世紀の世界の中心であった西欧社会と比較すれば極めて特異であり、そのために中国を理解することが、西洋人はもちろん、西洋思考になれた東洋人にとっても非常に困難な課題となっている。しかも、中国の隣国日本では、中国の動向に大きな影響を受けるにもかかわらず、中国に関する本格的な研究はなされていない。本来ならば、国家プロジェクトとして着手すべき課題であろう。

そのなかで、橋爪大三郎・大澤真幸・宮台真司『おどろきの中国』(講談社新書)は、日本を代表する社会学者が中国を社会科学的に分析するという主旨で書かれている。中国の「専門家」橋爪大三郎に、大澤真幸と宮台真司が尋ねるという鼎談形式で、橋爪が大澤・宮台が繰り出す「難問」に次々回答していく体裁をとっている。橋爪は、中国を西洋の物差しで理解しようとしてはいけないことを繰り返し主張し、なかでも中国とは2000年以上前にできたEUみたいなもの(EUではなくてCU)であると指摘する。CUとはまさに、西洋社会が規定してきた「国民国家」ではなく、多「民族」の連合体なのである。実際に、実際に中国は50を超える多民族国家であり、10億人以上の人口を持つ漢民族でも一つにまとまっているわけはなく、さまざまな地縁・血縁の関係集団が形成され、これらが重層的に織りなす社会として中国が成立している。

そのように考えれば、日本も2000年来、このCUの一角を担う民族集団という位置づけが可能となろう。ただし、橋爪らはそこまでは考えておらず、特に、日中戦争でなぜ日本軍が中国の奥深くまで進攻したのかについては、橋爪は、「これは奇妙な戦争で、日本軍も意味がよく分からなかったのではないか」、と彼にしては非常に歯切れの悪い解釈を述べている。これは、彼らが西欧流の国民国家の概念で中国を見てはいけないと言っているのに、近現代史になると国民国家の目でみてしまっているからであろう。日本は2000年前からCUの一員で、中原(ちゅうげん)の制覇を民族的願望(悲願)としてもっており、豊臣秀吉が文禄・慶長の役で失敗して以来の千載一遇のチャンスが70-80年ほど前に偶然到来し、準備不足で結果的に失敗したとみたほうが、アジアの歴史的文脈に適合するのではないか。実際、蒙古族、満州族、女真族などは中原を制覇したことがあり、「日本族」としても集団的な深層心理として、それを目指していたとして、不思議はない。それがCUの一員という意味でもあるはずで、このことを抜きにしては、尖閣問題などを巡る現在の日中関係の諸問題も十分には理解できないはずである。

橋爪らの本は中国の政治面を主に論じているが、その経済面については、ノーベル経済学賞受賞者であるロナルド・コースが中国人研究者(王寧)と執筆した「中国共産党と資本主義(原題:How China Became Capitalist)」(日経BP社)が大変示唆に富む。本書は、毛沢東の文化大革命の失政から、いかにして中国が「資本主義国家」になったのかを、多くの重要な事実を丹念に記述した大著で、ところどころでコースの手になると思われる制度経済学的分析が試みられている。本書が一貫して主張していることは、現代中国の経済的発展は、中国共産党のトップダウン型指導によってもたらせたものではなく、毛沢東以来の政治・経済の非集権化の影響を受け、共産主義の理念と私的所有の矛盾に中央政府が逡巡しているうちに、辺境における私的経済革命が、ケ小平の実験的な経済政策と呼応して、自生的に出現したというものである。彼らの主張に基づけば、中国の経済的発展の本質は、中国の各地域の必ずしも正統的でない私的利潤追求の試みが、国有企業の非効率性を凌駕して、経済発展をもたらしたのであり、中国共産党はそれを計画したのではなく、状況に任せて試行錯誤しながら統治してきたということになる。

このようなコースの中国経済の理解は、上述の橋爪らが主張するCUという観点から中国をみる見方と共通性がある。すなわち、中国には中心があるわけではなく、多様なアクターが相互に複雑な作用をすることで形成された結果であり、共産党はその相互作用の上に君臨することで統治しているとみることができる。これは、秦の建国以来、約3000年の中国の統治様式と通底するものと言えよう。さらに、コースらは、このような統治構造に必須の紐帯として儒教精神に注目し、それは温家宝がアダム・スミスの「道徳感情論」を強調しているところにも表れると指摘しているが、これは慧眼というほかはない。現在の中国共産党の正統性は、せんじ詰めれば、儒教の徳による統治を体現しようとしているとみれば、多くのことが理解できるようになるであろう。

なお、先に述べたように、アジアの東端に位置する中国の隣国日本も、歴史的にみてCUの一員であることは間違いないし、そのように理解しなければ、両国の関係を十分に理解することは難しいだけでなく、今後の新しい関係を築くことも困難であろう。なお私見では、CUとは、China Unionではなく、Central Unionであるべきであり、それが真の意味の「中国」であるとすれば、そこで日本が果たすべき役割も明確になるはずである。今は見果てぬ夢かもしれないが、50年、100年のスパンで考えれば、EUが成立した歴史を考えても、CUの成立は決して現実味のない話ではないであろう。もちろん、名称はAUであっても構わない。

Copyright © 2013, 國部克彦