Home -> MBA Square  
 
研究スタッフが選ぶ、オススメ図書

自然について考えるということ

堀口真司

 2013年6月、日本の富士山が世界遺産(文化遺産)に登録されました。富士山が世界遺産(文化遺産)に登録されたのは、富士山のもつ「信仰の対象」と「芸術の源泉」といった文化的な価値が、世界遺産委員会の定める評価規準に適合しているからと言われています。世界遺産とは、「文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として、損傷、破壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な協力及び援助の体制を確立すること」を目指して、1972年に採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」を基礎とする取り組みで、2014年6月現在、191の国々が参加しています。

 ここで少し立ち止まって考えてみると、今日ほど、自然や文化について多くのことが語られ、それらを保護しようとする者が多数現れ、たくさんの書物が書かれた時代はありません。つまり、自然や文化について考えるということがこんなにも盛んになった時代はかつてなかったのです。しかしながら、それと同時に、自然や文化がこれほどまでに痛めつけられた時代もありませんでした。私たちは、自然環境について饒舌になっていますが、そのあり方は、明らかに言っていることと矛盾しています。初めて自然環境の保護が講じられたのは、わずかな例外を除けば、イギリスの産業革命以後のことですが、それは明らかに、現在の私たちが進めている産業文明が自然環境の質を損なうという理由からでした。

 オギュスタン・ベルク『風景という知―近代というパラダイムを超えて―』(世界思想社、2011)は、風景の知という観点から、こうした矛盾について分析を行っています。風景を思考対象とすることが、かえって風景そのものに背くことになっていないか。「風景は学識あるエリートの思想のうちに誕生したが、日常的に表象されるものへと進展するにつれ、風景それ自体が破壊されているのではないだろうか」(p.8)。確かに、昨今増えつつある環境保護を推し進める者は局部的にはとてもうまく対処しており、あたかも新たな流行病に直面した医者のような役割を果たそうとしています。しかしながら、風景が壊滅しつつあるのは、私たちの振る舞い全体の結果であり、その原因ははるかに一般的なものです。そもそも、自然や文化の保護を推し進めるのは、人々が日常の生活環境を醜悪で無味乾燥なものとみなしているからであり、それは彼らが他のもっと風景の美しいところへ生活環境を求めることができる限りにおいてです。こうした現象は、当然のこととして風景に対する私たちの感性が前提とされていますが、そうした感性そのものが、実はテレビや雑誌などを通じて養われたものです。根本的な問題は、一方で風景を鑑賞し語り考える能力と、他方で風景を破壊する日常的な振る舞いとが、一見相容れないもののように思われていることです。

 ベルクは、こうした矛盾の原因が、近代というパラダイムそのもののうちにあると考えています。ベルクによれば、近代というパラダイムは、その原理において、客体=普遍(即自的に存在し、私たちの存在との絆を持たない対象)、幾何学的で機械的、純粋に量的で完全に中立的な宇宙、しか認知してこなかったのです。それは、あらゆる宇宙秩序に逆らって人間環境を脱宇宙化し、それを私たちの存在から切り離された中立的対象としてきました。そもそも、「人間存在とは一つの事実であるという、この事実そのものが、必然的に倦むことなく、自己のパースペクティブのうちに環境の質を規定し直そうとする、すなわち環境を世界へと再宇宙化しようとする」(p.85)ことに他ならないと言っています。実は、先に見た風景についての要求自体が、こうした矛盾に蝕まれているのです。その要求は、たいていの場合、生態学や経済学によって形成された日常生活と共通の尺度がほとんどない外側の世界を主観性の名のもとに夢想するか、さもなければ反対に、生態学や経済学が科学主義の名のもとに風景を自己のシステム(生態系や市場)に還元しようとするかなのです。

 同じ著者の視線が、『風土の日本―自然と文化の通態―』(ちくま学芸文庫、1992)においては、つい最近に至るまで近代というパラダイムに染まることなく自然との親密な関係を築いてきた国日本に向けられています。「過去の歴史を通じて、そして今なお人々が自然の美を謳い、風土のちょっとした変化にもきわめて敏感に反応してやまない国日本、その国が60年代に地球上でもっとも汚染された国になってしまったとは、いったいどういうことであろうか」。「なぜ、自然という祖先伝来の遺産をあれほどまでに損なってしまい、西欧から環境保護の技術はおろか、その理念まで輸入しなくてはならなくなってしまったのであろうか」(p.261)。著者の理解では、当時の日本に見られた風景の荒廃の根本的な原因は、日本の自然観自体の中に、つまり日本社会の自然に対する関係の中に求められるべきであるとされています。明治以降、日本社会が採用してきた西洋文明は、確かに日本の伝統的な姿勢とは根本的に異質な力学に基づくものでした。しかしながら、日本社会がその心情に至るまで、完全に西欧に同化してしまったとは思えないと言います。日本人にとって、自然とは、存在・事物を問わずそれがいかなるものであれ「自ずから然り」というものであり、人間にはそれを斥ける資格がない。自然の根拠を認め、その根拠と妥協しなければならないのです。それに対して先に見た近代というパラダイムを生み出した西欧の人々は、ロゴスの力に絶対的な根拠を認め、人間はこれを僭称し、それによってまるでものを扱うように自然を支配しようとしてきました。

 ベルクは、こうした日本人の自然観を、西欧の趣味に見られる表現の饒舌さと対比しながら、これまでに日本人の美的伝統を長く支配してきた「わびさび」の美学の中に読み取ろうとしています。「わびさび」においては、作者は自分の作品において、余すところのない表現を通じて自己を押し出すことを拒絶し、むしろ簡潔な表現の中に「自然らしく」見せることを求め、自然に抱かれた自己のはかなさと卑小性を鋭敏に意識しようとします。言い換えれば、「主体の自立を放棄して、作品の仕上げを共同体に委ね、作品に集団的な意味を与え、そこに自身の主観性を溶け込むようにする」(p.330)のです。ベルクは、この集団的な意味を与える主体こそが、先に見た「自ずから然り」という意味での「自然」であると言います。日本人は、主体が何ものであるかをさほど明確には規定しないので、彼らを取り巻く風土とより十分に伝達し合っていると考えます。(しかしながら、その「母型的な場」に価値を与えるということは、主体の反省的意識の価値を貶め、その外側の世界とのコミュニケーションを軽視し、したがって主体による世界の統合に歯止めをかけることになります。なぜなら、風土とはもともと伝達できるものではないからであり、その中にいるか、いないかのどちらかしかありえないからです。)

 では、自然の中に溶け込む、風土に順応するとは、はたしてどういうことでしょうか。ここでは最後に、「自ずから然り」という日本人の自然観とされたものを思い起こすために、和辻哲郎の『風土―人間学的考察―』(岩波文庫、1979)を紹介したいと思います。というのも、そもそも上で見てきたベルクの書物自体が、和辻の「風土」論に触発されて書かれたものでした。和辻によれば、風土とは、「ある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である」(p.9)とされています。ここで和辻は、自然科学が自然現象を自然環境として取り扱う試みとは意識的に区別するため、私たちを取り巻く自然現象を、「自然環境」とはせずに「風土」と形容します。すなわち、「自然科学がそれらを自然現象として取り扱うことはそれぞれの立場において当然のことであるが、しかし現象そのものが根源的に自然科学的対象であるか否かは別問題である」(p.10)。こうして和辻は、自然環境がいかに人間生活を規定するのかではなく、人間存在の構造契機としての風土がいかなるものであるのかを明らかにするために、本書を執筆したことを明確に述べ、ここに先にベルクが示していた近代というパラダイムの特殊性・個別性を念頭に置きながら書かれた書物であることが読み取れます。

 本書の中で、和辻は、様々な土地における風土の特殊性を描写しています。例えば、東アジアの沿岸一帯を「モンスーン」域の風土として描き、日本もその中に位置づけています。「モンスーン」とは季節風のことであり、特に熱帯の大洋から陸に向かって吹く夏の季節風を想定し、暑熱と湿気が結合した湿潤をその特徴として理解しています。湿潤は、一方では植物的・動物的な生を充満させ、自然の恵みをもたらしながら、他方ではしばしば大雨、暴風、洪水、旱魃といったような自然の猛威をもたらします。したがってそれは、受容的で忍従的な人間構造を生み出すことになります。なぜなら、湿潤としての自然の暴威は横溢の脅威であって、それは人間をして対抗を断念させるほどに巨大な力でありながら、同時にそれは自然の側の生を恵む力でもあるからです。

 次に和辻は、アラビアやアフリカ、モンゴルなどに広がる「砂漠」を特徴的な風土として捉えています。「砂漠」では、自然の生産を待ち望むことはできず、草木や泉や井戸を自然から闘いとることによって人々は繁殖を図ります。また、一つの井戸が他の部族の手に落ちることは、自らの部族の生を危うくすることを意味します。ここから、「砂漠」的人間は、自然に対しても、また他の人間世界に対しても、対抗的で、戦闘的な特徴を持つようになると考えます。このような「砂漠」的人間の意志に執着する力は、現代においてなお生きている世界の宗教を通観すればわかると言います。「あの小さいイスラエルの族の歴史を、あたかも人類全体の歴史であるかのごとく、ほとんど二千年の間ヨーロッパ人に思い込ませていたあの力ほどめざましいものはないであろう。砂漠的人間は、他の多くの人間を教育した。それは、砂漠的人間が、その特性のゆえに他の人間よりも深く人間を自覚したからである」(p.82)。

 さらに和辻は、ヨーロッパの風土を「牧場」的と捉えます。そこでは夏の乾燥と冬の湿潤によって雑草が駆逐され全土が「牧場」的になり、人間は雑草と戦う必要がなく、土地は一度開墾されれば、いつまでも従順な土地として人間に従うことになります。このように農業労働が安易であるということは、自然が人間に対して従順であるということです。そうした中では、「人は自然の中から容易に規則を見出すことができる。そうしてこの規則に従って自然に臨むと、自然はますます従順になる。このことが人間をしてさらに自然の中に規則を探求せしめるのである」(p.113)と言っています。「牧場」的な風土の下では、自然の恵みがそれほど豊ではないために自然を容認して恵みを待つこともなければ、また自然に対抗して不断に戦闘的な態度をとらなくてはならないほど自然が人を脅かすこともありません。自然は、一度人間の手によれば、適度の看護によっていつまでも人間に服従しています。すなわち、人間が従順なる自然への支配を自覚し、自然の支配者として自分自身の生活を形成することによって、自然の拘束から「人間の解放」を思うに至ったのです。

 和辻は言っています。「人間はかつて周囲の自然から引き離され白紙の状態にいたことはない。・・・ギリシアの自然の規則正しさは初めよりギリシア人の合理的傾向であった。だから自然の特殊性はその自然においてある人間の精神的構造に属する問題であると見られなくてはならぬ。かくて東洋と西洋というごとき「ところ」の相違が精神的構造の相違を意味することになる。・・・一方に峻厳な人格神の信仰を産んだ乾燥な砂漠生活の極度に意志的・実践的な生き方、他方にあらゆる生物の一であることを信ずる湿潤な地方の極度に感情的・瞑想的な生き方、そうしてその両者に対して人間中心的な知的・静観的な生き方を区別せしめる精神的構造の一つの原理である」(p.298-9)。

 ここで私は、和辻の示した推論が客観的に見て妥当であるか否かを問題としているわけではありません。もとより和辻の書物は、科学主義の名のもとに自然環境を描写しようとするものではなく、人間の構造契機としての風土を描き出すものでした。大事な点は、人間を取り巻く自然を合理的に思考するということ自体が一つの特殊な文明に基づく行為であり、立場によって自然とはいかようにもありうるということが、洋の東西を超えて共感されうるような平易な言葉で表されているということです。東日本大震災を経験した現在、「変化に富む日本の気候を克服することは、おそらくブルジョアの克服よりも困難である。我々はかかる風土に生まれたという宿命の意義を悟り、それを愛しなくてはならぬ」(p.303)という先学の言葉に、これまで以上の重みを感じるのは私だけでしょうか。

オギュスタン・ベルク『風景という知―近代のパラダイムを超えて―』(木岡伸夫訳、世界思想社、2011)
オギュスタン・ベルク『風土の日本―自然と文化の通態―』(篠田勝英訳、ちくま学芸文庫、1992)
和辻哲郎『風土―人間学的考察―』(岩波文庫、1979)

Copyright © 2015, 堀口真司