トルストイ(著), 原 卓也(訳)『人生論』(新潮文庫, 1979年)
そこで、次に、そのような利他的な思考の本質を理解するために、利他主義(愛他主義)について書かれた比較的理解しやすい書物として、トルストイの『人生論』を紹介しましょう。トルストイは『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』といった作品で有名なロシアの文豪ですが、彼の利他的な精神に関する思想は、『人生論』という著書の中に結実していると言われています。トルストイは、同書の中で、利他性の現実的な形を「愛」という言葉で表現しており、それは自分自身よりも他者を好もしく思う感情であると定義しています。また、愛の大きさは、自己の利益を分母にとり、他者への愛をその分子とするときの、分数の大きさのようなものであると述べています。つまり、愛とは、それが自己犠牲を伴う場合にのみ愛となるのです。同書におけるトルストイの目的は、人間の真の生命、あるいはその幸福についての理性的な説明を提示することであり、そのような愛こそが、真の生命であると主張しています。なぜなら、唯一それが人間の生命の矛盾を解決してくれるものであるからです。
トルストイによれば、人間の生命の矛盾とは、個人の幸福に対する志向と、その不可能さの自覚との矛盾であり、それは、動物的な生命体の欲求は常に一定の限度で満たされてしまうようなものであること、また動物的な生存は一呼吸ごとに死に向かっているために、幸福を追求するための究極的な基礎としては置くことができないという矛盾です。このような矛盾に対しては、目に見える生命体以外に一切別の生命の可能性を認めず、人の生命を誕生から死にいたるまでの動物的生存と理解している現在の科学者の意見に頼ることも、また、来世における幸福を得るために、もっぱら現世において儀式の遂行を勧めようとする宗教家(パリサイの徒)の意見に頼ることもできず、ただ日々の生活を満たしている数限りない量の仕事や習慣に従って行動し、思考を停止してしまっているのが現状であると分析しています。トルストイは、このような現状の問題に対し、「他者」を愛する理性的な生命の存在を説くことによって、その解答を示そうとしたのです。
それは、人間性と動物的個体としてのヒトとを区別することによって、人間の生命を動物的生存の中に見るのではなく、理性的な人間性の中に意識を置き、動物的生存の条件がそうした人間性から乖離することによって苦しんでいる「他者」への愛(迷いや苦しみの原因の究明とその根絶)の中に真の生命(生きる意味)を見出そうとする考え方です。したがって、これは決してヒューマニズムの域を出るものではありませんが、「欲求の1つに理性的な意識を向ければ、意識されたその欲求が生命全体を占領して、人間の全存在を苦しませる」(111頁)や、「愛は、それが自己犠牲であるときにのみ愛なのである」(137頁)といった思考は、人間性のある種の本質を表現したものであり、これはまた、社会や環境へ配慮しようとする現代社会の本質の一面をも言い表したものであるように思えるでしょう。
大事なことは、かつて啓蒙思想や社会契約説のもとで市民(ブルジョア)の権利が確保され、自由で自主的な活動が保障されるようになった出来事や、社会国家や福祉国家のもとで、ある程度、労働者(プロレタリア)の権利が擁護されてきたという出来事を、個別の独立した偶然的事象と捉えるか、それとも歴史的な傾向と捉えるかという点にあります。もし、そこに何らかの傾向を読み取り、またその中に現在の企業による社会や環境への配慮を考え合わせるなら、利他的な思考にも、無視できないほどの大きな説明力があることを認めざるを得ないように感じられるのです。
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