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研究スタッフが選ぶ、オススメ図書

商学分野 教授 忽那憲治

 

わが国は、欧米との比較において、起業しにくい、あるいは起業後に成功しにくい国であると考えられています。日本の開業率は1980年代以降4%前後ときわめて低い水準にあり、アメリカやイギリスの開業率が10%を超えている状況とは対照的です。かつ、わが国においては、90年代以降は開業率が廃業率を下回る状態が続いています。これは事業所数が毎年純減していることを意味しています。また、OECD調査やロンドン・ビジネススクールが実施しているグローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)調査においても、日本の企業家活動および企業家活動支援の水準は、調査国の中で最低ランクに位置づけられています。2008年度版の経済財政白書においても、わが国における低水準のリスクキャピタル投資や企業家活動が、低経済成長の原因となっていると指摘されています。雇用創出、新産業の創出、イノベーションの促進、地域経済の活性化には、中小企業の育成が欠かせません。しかし、起業にあたってはさまざまな制約があり、こうした困難を乗り越えて企業を大きく成長させることは容易ではありません。実際、多くの企業が開業後短期間で事業からの撤退を余儀なくされています。また、政府・地方自治体は新規開業支援策を積極的に実施してきましたが、新規開業企業がその後どのようになっているのかという、新規開業企業のダイナミズムについては十分に明らかにされているとは言えません。今回は、新規開業企業の誕生から、成長、衰退、撤退という中小企業のライフサイクルを分析した興味深い書籍を3冊紹介することにしましょう。


三谷直紀, 脇坂明(編)『マイクロビジネスの経済分析―中小企業経営者の実態と雇用創出―』(東京大学出版会, 2002年)

第1冊目は、三谷直紀・脇坂明編『マイクロビジネスの経済分析―中小企業経営者の実態と雇用創出―』です。零細企業・自営業に焦点を当て、企業規模100人未満の企業を対象としたアンケート調査によって広範囲にデータを収集し、分析を行っています。アンケートによって回収された企業は、大半が企業規模5人未満の零細企業・自営業です。これまでほとんど分析されることのなかった零細企業・自営業の実態を明らかにした点が本書の特徴と言えます。また、分析アプローチ的には、開業後に廃業した企業も含めたパネルデータを用いて、中小企業のライフサイクルに関して動学的な分析を行っている点も本書の特徴と言えます。本書は、第I部の中小企業の開廃業と成長、第II部の女性経営者と中小企業、第III部の中小企業と金融、第IV部の中小企業と労働の4部構成となっています。起業後の成長を決定する要因(第1章)、開業、成長、廃業と雇用創出(第2章)、高齢者就業と自営業(第3章)、中小・零細企業の経営における女性起業家の特徴(第4章)、女性の開業:女性起業家の面接調査(第5章)、貸し渋りと審査機能(第6章)、貸し渋りとその公的対策の効果(第7章)、中小企業における右腕従業員:そのキャリアと貢献度(第8章)、中小企業の賃金制度と賃金構造(第9章)というさまざまなテーマについて分析を行っています。とりわけ第I部に含まれる3つの章が中小企業のライフサイクルにかかわるところです。起業後の成長に影響を与える分析を行った第1章では、開業資金の大小、とりわけ遺産の受け取りが事業拡大に大きな影響を与えていることなどを明らかにしています。こうした分析結果は、新規開業時の資金制約が成長の阻害要因であることを裏付けています。女性起業家や右腕従業員に焦点を当てた章も大変興味深い内容となっています。

 

橘木俊詔, 安田武彦(編) 『企業の一生の経済学―中小企業のライフサイクルと日本企業の活性化―』(ナカニシヤ出版, 2006年)

第2冊目は、橘木俊詔・安田武彦編『企業の一生の経済学―中小企業のライフサイクルと日本企業の活性化―』です。国際的に見れば、わが国においては開業率も廃業率も低い水準(少産少死)にありますが、アメリカにおいては開業率も廃業率も高い水準(多産多死)にあります。こうした高い開業率と高い廃業率がアメリカの経済のダイナミズムをもたらしているとしばしば指摘されてきました。本書は、企業の誕生、成長、衰退、退出という「企業の一生」を統一的に分析した書籍です。「企業の一生(ライフサイクル)」というタイトルを付けて、中小企業を分析したわが国で最初の研究書と言えるかもしれません。また、分析においては、豊富な研究の蓄積がある欧米の中小企業研究の成果をふまえて、わが国のデータを用いた数量分析を行っている点も特徴と言えます。わが国の分析結果について、欧米の先行研究との比較が可能となっており、各章の最後に掲載されている参考文献リストは大いに参考となるでしょう。本書は、企業の一生の経済学(序章)、起業家の人的資本と資金調達(第1章)、中小企業金融における取引関係(第2章)、開業率の地域別格差は何によって決まるのか(第3章)、企業成長と企業行動、加齢効果(第4章)、事業承継とその後のパフォーマンス(第5章)、中小企業の存続と倒産(第6章)、小規模企業の退出(第7章)から構成されています。開業率の地域間格差についての分析や、中小企業の承継、倒産、退出を扱った分析は、研究の蓄積が薄い領域であり、今後この分野を研究したい学部学生・大学院生にとって参考にすべき優れた研究と言えます。

 

樋口美雄, 村上義昭, 鈴木正明, 国民生活金融公庫総合研究所編(編)『新規開業企業の成長と撤退』(勁草書房, 2007年)

第3冊目は、樋口美雄・村上義昭・鈴木正明・国民生活金融公庫総合研究所編『新規開業企業の成長と撤退』です。新規開業企業のダイナミズムを分析するためには、ある一時点の企業データではなく、同一企業を追跡調査するパネルデータが不可欠です。本書は、国民生活金融公庫総合研究所が2001年に開業した同公庫の融資先企業2181社について、2001年から2005年にかけて5回アンケート調査することによってパネルデータを作成し、分析したものです。新規開業企業を対象としたわが国で最初の本格的なパネル調査と言えます。さらに、調査対象企業55社について聞き取り調査を行い、事例研究を加えることで、パネルデータに基づく実証分析と組み合わせた分析を行っています。こうしたパネルデータ分析と事例分析を組み合わせることによって、本書の主張はより説得的なものになっています。本書は、新規開業のダイナミズム(序章)、廃業企業の特徴から見る存続支援策(第1章)、開業による雇用創出と開業後の変動(第2章)、存続・成長と地域特性(第3章)、追跡調査に見る新企業の動態(第4章)、新規開業融資に見る金融機関の役割(第5章)、計画と現実のギャップへの対応(第6章)、成長に向けた経営上の取り組み(第7章)、まとめ:新規開業企業の役割と開業支援策(第8章)から構成されています。本書の分析は、2001年の新規開業企業に限定されていること、国民生活金融公庫の融資先企業に限定されていること、というデータの限界はありますが、わが国初のパネルデータを用いた本格的研究として高く評価できます。本書が抱える、上に述べたようなデータ上の課題は、これからの研究によって補っていく性格のものであると言えるでしょう。


以上紹介したように、中小企業のライフサイクルを包括的に分析した興味深い書籍が、近年出版されています。これらで採用されているアプローチからもわかるように、パネルデータを用いた分析が今後ますます重要になってくるでしょう。パネルデータを用いることによって、個別企業自体の時間経過にともなう変化と、企業を取り巻く環境が企業に与える影響を峻別することができます。分析期間中に存続した企業だけではなく、退出した企業も含めたデータを用いることによって、「サンプルセレクションバイアス」を小さくすることが可能になります。これまでの研究では、ある一時点のデータ(クロスセクションデータ)を用いた分析が中心でしたが、クロスセクションデータを用いた研究が進展することによって、わが国における企業家活動および企業家活動支援の在り方の課題を深く議論できる環境が徐々に整ってきました。中小企業研究は新しい段階に入ったと言えるかもしれません。
(Copyright © , 2008, 忽那憲治)